年の二、三年を除いて、最大最高の人気の王座を守り通したと云ふことも、稀有なことであつたと云ひ得る。
先づ春団治は「音」の描写に、凡そ嶄新なポンチ絵風の手法を用ゐた。ちよつと東西、他に例がない。いや、考へ付いた人位はあつたかもしれないが、春団治のやうなあのドギツイ太い声による表現以外、到底、悪くすぐりに堕するのみであることをおもひ、やめてしまつたらうとおもふ。
泥棒が兇器で板戸を破る、その音の表現に、ベリバリ、ボリ。(「書割盗人」東京の「夏泥」)
拍子木を鳴らす音は、カラカツチカツチ。(「二番煎じ」)
往来に掛け廻してある竹簾のやうなものを開ける音に、カラカツチヤカツチヤカツチヤ(「へつつい盗人」)
その竹簾がぶツ倒れ、よろけて傍らの三輪車の喇叭を押さへる音を一ぺんに表現して、ドンカラカツチカツチ、プープ(「へつつい盗人」)
何か云はれて愕くときの「エツ」と聞き直すところを「エ」と小さく軽くやり、その「エ」につづけて深く太く腹の底まで抉るやうに「エーツ」。此は、どの噺にも与太郎や喜い公が訊き返すギヤグによく用ゐた。花柳界あたりでも、真似て日常語に使用されてゐた。この義太夫の地にありさうなねつい太い声は全く春団治特有のもので、谷崎潤一郎氏も「私の見た大阪及び大阪人」の中で、『悪く底力のある、濁つた、破れた、太い、粘り強い、映画説明者や浪花節語りのそれを想はせる声』と曾我廼家五郎の「声」を評した後で『落語の春団治などもあの地響きある声を出す』と云つてゐられる。さう、春団治の「エ、エー」は五郎の声帯で表現して想像してもらつたら、ほゞ原形にちかいものが、髣髴とさせられよう。
言葉に於ても、呆れる許りの放胆さ嶄新さがあつたと云へる。
「ゐても立つてもゐられんたかて、こないしてるより仕様ない」(「猫の災難」)
こんな大きな猫がでたと両手を一ぱいに拡げて見せるので「そんな大きな猫があるか」と相手が叱ると、「この手、うしろへ廻して小さうしてるがな」(「猫の災難」)
自分が喧嘩に負けて頭から踏まへられ、積上げてある下水の泥の中へ、ニユニユニユニユツ(こんな表現を、彼はした!)と顔を突込まれ、やつとのことで顔を上げたら、自分の面形がのこつてゐたと云ひ、そのあとで曰く「いつて見なはれおツさん、あの泥のとこへ。あの顔よう私《わい》に似たるわ」(「喧嘩の仲裁」)
いきなり
前へ
次へ
全8ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 容 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング