その答えとして、私はさしあたり次のようないろいろのことを思いつくようになりました。
それはまず人にはみなそれぞれのいい、悪い、いろいろさまざまの特長がある。私たち落語家にしても舌の長い人もあれば、短い人もあり、人それぞれで調子ひとつがみなちがう、そのそれぞれの長所短所をうまく活かして、ついには短所までも長所に変えてしまうべきだろう。いくらこれが本筋だと信じてやっていても、それが自分の柄や舌の調子にあわなければうまくはできず、したがってお客さまにはちっともよろこびを与えないわけになる。
さてそうなるとつまるところ自分は自分の姿を土台にして、そこから花を咲かせたり、実を実らせたりするよりない。むやみに他人様の邸の桜の枝を折ったりすれば、叱られるのが当たり前。しょせんが「芸」とは自分で自分のなかから自分の宝を発見していくよりないのだ。このようなことを考えたのです。
そうするとまたすぐ次の問題がたちまちここに生じてきました。では、この自分にはいったい、どんな特色があるのだろう――って。これは考えぬいてみたあげくが、まずまず次の三つだろうということになってきましたね。
まずひとつは、咽
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