しまっていたのです。
ほんとかなあ、そんな。信じられないなあ、なんだか。年枝さんは俺がひいきだからそんなことを言って俺をよろこばしてるんだ。
ただそうとのみ考えて、形だけのお辞儀だけはしながらも格別うれしそうな顔も見せず、それよりもひさしぶりの牛肉のほうがうれしくってムシャムシャ片っ端からたいらげていた始末でした。ただ、こんなにも腐りきってしまっているときでも、性質のそそっかし屋だけはやっはり直らず、牛とまちがえて生葱を三度もガリガリと齧《かじ》ってしまい、そのたんび年枝さんをふき出させましたよ。
でも。
この師匠燕枝のほめてくれたのは、決して年枝さんのうれしがらせではないということが間もなくわかりました。帰ってから八丁堀の朝田が柳桜師匠とうちの師匠の二枚看板で、このときに師匠は「仏国三人男」という新作の西洋人情噺を、三遊の圓朝さんの向こうを張ってこしらえていましたが、そのなかに「本膳」と同じ呼吸のところがある。で、横浜で聴いたお前の「本膳」がよほどよかったから今夜はひとつ聴かせてくれとこう言われ、ではまんざら年枝さんのお世辞でもなかったのだなと初めてわかったことだったんです。
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