ものになってきた、このくらいの落語家が昔あると、ぶっつけ[#「ぶっつけ」に傍点]真打だがと言っていた、ほんとに珍しいこッたから、しっかり勉強をおしよと励ましてくれました(もっともこの年枝ともう一人、鶴枝というこれも没《なくな》りました二人は、私が京橋で乞食の爺さんに逃げられた時分、ホトホト自分の境涯に愛想を尽かしてしまい、もう落語家はやめようかと相談にいったときも、二人して苦しかろうがもうすこし辛抱をおしなさい、必ずお前さんは末の見込みがあるからと思い止まらせてくれたくらいの私のひいきだったのです。それゆえ、こちらも恩返しにそののち私が看板を上げてからは死ぬまでこの二人に前へ出ていてもらいましたが)。
やかましやの師匠燕枝がほめてくれたと聞き、それはまんざらうれしくないことはありませんでしたが、じつはほんとうのことを言うと、もうそのとき私はそんなことをすっかりアテにしなくなってしまっていました。十年一日――曇りの次は雨、雨の次は雪また嵐と年がら年中この繰り返しで、ほんとに日の目ひとつ見たことのない私は、なまじはじめの出が華やかだっただけに今ではすっかり心もちが怯《ひが》んで腐りきって
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