《まりしてん》にも見放され……とは「関取千両幟《せきとりせんりょうのぼり》」ですが、乞食に見放されたのは芸界広しといえどもまず私でございましょう。でもそのときばかりはおかしいような情ないような、われながらへんてこ[#「へんてこ」に傍点]な心もちになりましたよ。
そのうち、今度はその昼席へも出られなくなってしまった。というので夜分は襟垢のついたものでもわからないが、昼間はお客さまに失礼でそんな色の変わったものを着ては出られない。
しかたがないので死んだ先代の柳條さんたち四、五人と苦しまぎれに足利へ興行に行ってみたのです。するとこれが初日に七人しかお客が来ない。どこにもこうにも、これじゃ二進《にっち》も三進《さっち》もゆきやしません。
東京へ帰るにしても五人の頭へ四人分の路金《ろぎん》しかない。しかたがないのでたまたま足利の芝居へ昔なじみの常磐津の鎌太夫が来ていたのを幸い、皆には先へ帰ってもらい、私だけその座に七日つかってもらって、やっとほんの雀の涙ほどのお宝をいただいて後からみんなを追い駆けました。
ところがまぬけなときはこうもまぬけなことになるもんですかねえ。途中あれはなんとい
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