年ばかりの経つののめざましいくらい早かったに引き代えて、あとの五年の永かった永かった、居据りながら歩いているような心もちでしたよ。
したがって、収入もない。
親父の奉還金のなかから私の分としてとっておいてくれたお金も、もう一人前になれるだろうなれるだろうでとうとうみんなつかってしまい、それでもまだ一人前にはなれるどころか、一年三百六十五日、平均《おしなら》して六銭ぐらいしかとれません。いくら物価《ものなり》の安い時分でもそれじゃお粥もすすれませんよ。
そこへもってきて引き立ってくれていたチウチウ燕路は死んでしまい、悪いときには悪いもんですね、私の燕花という名前は蔵前の柳枝さんの前名で、その次がチウチウ燕路の前名、つづいてその頃売出しだった先代小さん、つまり禽語楼《きんごろう》小さんさんの前名と、柳派では大《だい》の出世名前だったわけなのですが、みすみすその縁起のいい名前を返して都川歌太郎を名のらなければならないようなことにまでなってしまいました。それは柳枝さんの元のお神《かみ》さんの小満之助《こまのすけ》という音曲師が大阪から帰って来て、三代目|都々逸坊扇歌《どどいつぼうせんか》
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