い正月はありませんやね。
その証拠には私、一生懸命、自分じゃ勉強したつもりなんだが、どうも、その……おや……おやッ……なんだろうあなた、あの人声。
ハテだんだんこっちへ近付いてくるようだが、あ、万歳、やっぱり万歳、万歳だ万歳だ。
ごらんなさい、来ましたよ来ましたよ。最前の行列より、また、ぐんと多いのが、みんな提灯を大振りにして、ああ、やってきたやってきた、万歳万歳万歳万歳……ねえ、あなたこの行列の通り過ぎるまで、とてもお話なんかしたって聞こえないから、ひと休みしましょう。そしてあなた、まあ一杯、おめでたいんだからお干しなさいよ。いいえ、私も近来《ちかごろ》は駄目なんだが、今夜はあまりうれしいから進んでひと口いただきますよ。だってこうなんだかウキウキしてきて、日本人としてお酒でも飲まずにゃいられないような心もちですもの。
ホーラもうこの軒下まで行列、近付いてきた、万歳万歳万歳って……おめでたいなあ、まったく。
中
ああ、やっと万歳がだいぶ遠のいていきました。
しかしまたあなた、またすぐやって来ますよ。無論、今夜は夜がら夜っぴて、やって来るにちがいないし、事実また日本中の人たちが今夜はそのくらいにうれしいんだものしかたがないが、だからこっちもお祝いに夜がら夜っぴて身の上話を申し上げるとして、ちょいとここらで鬼の来ないうち洗濯てぇことはあるが、あとの万歳の来ないうちにただいまの続きを申し上げてしまおうじゃござんせんか。
しかし、この日本だってこの前の日清戦争にゃ勝ったけれど、三国干渉だのなんだのって、じつにいろいろの嫌なことがあった。あのときは実に情なかったが、しかし私は今になってみるとじつにあれがよかったんだとおもってるんです。私たちがたいへん生意気なことを申し上げるようだが、あれがただくだらなく他愛なく勝ってしまって清国の三分の二をもらってしまってさ、左団扇《ひだりうちわ》で暮らしていたら、今日、この露西亜《ロシア》との戦争には果たしてこのようにトントンと勝てていたかどうか。たしかにあのときの勝って兜《かぶと》の緒をしめたあの苦しみが今日二倍三倍もの[#「もの」に傍点]をいって日本人全体の血肉となって、こんなにめざましい働きをしたんでさあ。とするとねえあなた、人間万事、はじめに泣くだけ泣いとかなけりゃ、最後の大勝利は得られませんてことさね。
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