#ここから1字下げ]
※[#歌記号、1−3−28]韓信が股をくぐった末見やしゃんせ
踏まれた草にも花が咲く
[#ここで字下げ終わり]
って、まったく、あれ、あれですねえ。
さてこの私という馬鹿野郎は申し上げたような仕儀で、あまり初手からいい目が出すぎてしまったもんだから、勝って兜の緒をしめなかった。いいえ、自分じゃすぐにも大看板《おおかんばん》になれる気で勉強をしていたんですが、この頃になって静かに振り返ってみると、やっぱりあの頃の私の勉強てのはてんで独りよがりで、なっちゃなかったんです。どういうふうになっちゃなかったか、それはワザともうしばらく申し上げないでおくとして、なにしろ私は仲間からほめられるほめられる、やたらこたら[#「やたらこたら」に傍点]とほめられるのですが、さてほめられるばかりで一向にパッとしません。お客様にてんで[#「てんで」に傍点]受けず、その結果がどこの席亭でもちっともつかっちゃくれないという始末なんです。
二年、三年、四年、五年――もう五年の月日がそこに経ちましたが、まったくの居据《いずわ》りでどうにもこうにもしようがないんです。こうなるとはじめの一年ばかりの経つののめざましいくらい早かったに引き代えて、あとの五年の永かった永かった、居据りながら歩いているような心もちでしたよ。
したがって、収入もない。
親父の奉還金のなかから私の分としてとっておいてくれたお金も、もう一人前になれるだろうなれるだろうでとうとうみんなつかってしまい、それでもまだ一人前にはなれるどころか、一年三百六十五日、平均《おしなら》して六銭ぐらいしかとれません。いくら物価《ものなり》の安い時分でもそれじゃお粥もすすれませんよ。
そこへもってきて引き立ってくれていたチウチウ燕路は死んでしまい、悪いときには悪いもんですね、私の燕花という名前は蔵前の柳枝さんの前名で、その次がチウチウ燕路の前名、つづいてその頃売出しだった先代小さん、つまり禽語楼《きんごろう》小さんさんの前名と、柳派では大《だい》の出世名前だったわけなのですが、みすみすその縁起のいい名前を返して都川歌太郎を名のらなければならないようなことにまでなってしまいました。それは柳枝さんの元のお神《かみ》さんの小満之助《こまのすけ》という音曲師が大阪から帰って来て、三代目|都々逸坊扇歌《どどいつぼうせんか》
前へ
次へ
全17ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 容 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング