その答えとして、私はさしあたり次のようないろいろのことを思いつくようになりました。
 それはまず人にはみなそれぞれのいい、悪い、いろいろさまざまの特長がある。私たち落語家にしても舌の長い人もあれば、短い人もあり、人それぞれで調子ひとつがみなちがう、そのそれぞれの長所短所をうまく活かして、ついには短所までも長所に変えてしまうべきだろう。いくらこれが本筋だと信じてやっていても、それが自分の柄や舌の調子にあわなければうまくはできず、したがってお客さまにはちっともよろこびを与えないわけになる。
 さてそうなるとつまるところ自分は自分の姿を土台にして、そこから花を咲かせたり、実を実らせたりするよりない。むやみに他人様の邸の桜の枝を折ったりすれば、叱られるのが当たり前。しょせんが「芸」とは自分で自分のなかから自分の宝を発見していくよりないのだ。このようなことを考えたのです。
 そうするとまたすぐ次の問題がたちまちここに生じてきました。では、この自分にはいったい、どんな特色があるのだろう――って。これは考えぬいてみたあげくが、まずまず次の三つだろうということになってきましたね。
 まずひとつは、咽喉《のど》。音曲です。なにしろなにがなんでも常磐津家寿太夫。常磐津は当然至極として、そのほかの小唄|端唄《はうた》、まず自分で言ってはおかしいが、駆け出しの音曲師は敵ではないほど歌えるということです。
 あとの二つの特色はいずれもいいほうじゃなく、むしろいけないほうでしょうが、落語家には珍しくぶッきら棒で、口が重い。さらにもうひとつ、そのくせ、バカにそそっかしい。まあ、これだけです。さてこの三つをことごとく長所にしてしまおうと美《い》しくも覚悟を定めてしまったことなのです。
 ほんとうにいままで自分は愚《おろか》で、教わった原本にないからとて、どの噺のなかでもいっぺんも歌うことなしにきていました。これはとんでもない宝の持ち腐れ。さっそく、それからは「天災」でも「千早振る」でも「小言幸兵衛」でも「替り目」でも、なかの八さんに、熊さんに酔っ払いに、ときとして大家さんに、隠居さんに、急所急所で常磐津のひとくさり、端唄のひとくさりを唸らせることにしました。果たしてたいへん噺が明るくなってきて、唄のところでは喝采さえあり、前後が水際《みずぎわ》立って光ってきました。
 重たい口調を活かすためには
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