、主人公の八さんや熊さんをそっくり自分の通りのモズモズしていてしかもまぬけな男にし、あくまでモズモズとしたおかしみで押し通しました。たいていほかの人たちの八さん熊さんは頭のてっぺんから声を出し、ベラベラベラベラとんちんかん[#「とんちんかん」に傍点]なことをまくし立てるのばかりだったもので、このいき方はたいそう型変わりだとてお客さまにめずらしがられ、これもすっかり受けました。「猫久《ねこきゅう》」「水屋の富」「笠碁《かさご》」「碁泥《ごどろ》」「転失気《てんしき》」、みなこの呼吸の男を出して、よろこばれだしました。
そそっかしい一面の自分のほうは、「堀の内」「粗忽《そこつ》長屋」「粗忽の釘」のなかでみんなそっくり地でいきました。自分にはわかりませんが、なにしろほんとうに私がそそっかしいため、ただ単に噺でおぼえたほかの人の粗忽噺とはどこかちがったほんとうらしいところがあるらしく、これもことごとくよろこばれました。
なにより音曲とモソモソした八さん熊さんと地でいくそそっかし屋と、これだけでこの間のうちまでとは比べものにならないくらい私の噺は明るくおかしく華やかになってきました。もうこれで戦争最中の、寄席へ疲れを休めにおいでなさるお客さまたちにも、どうやら立派にお慰めができるようになってきたのでしょう、なによりの証拠に私が高座へ上がっていくとパチパチと迎い手が鳴り、どうかすると「待ってました」とうそにも声のかかるようにさえなってきました。こうなると皆のことを怨みに怨んでいた昨日までのことが、うそのようです。いま初めて私は私の心のなかに夜明けの鶏《とり》が東天紅と刻《とき》を告げているのがまざまざと感じられてきました。
さて、毎度、口の酸《す》っぱくなるほど申し上げておりますが、芸人はまず芸です。まず自分の芸ができて、それからおのずと人気が出てくるのです。あせってくだらなく名を売りたがったり、むやみに昔の大看板の名を襲《つ》いでみたとて、世間は案外に甘くなく、そんなことで売り出せるものじゃありません。実力――やっぱり実力です。そうしてそのほかにはなにもないといっていいでしょう。もっともあまり人間の悪いやつはただうまいだけでも売り出せませんが、ね。つまりこりゃ軍人さんだって花も実もあるお仁《ひと》でなければ、まことの軍人とはいわれない、強いばかりが武士じゃないと下世話に
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