らお客さまによろこんでもらえるだろう俺は。というよりもいったい全体どこがお客さまにすこしもよろこんでいただけない、いけないところだろう。
ものは考えてみるものですね。考えて考えて考えぬいてみるものですね。天は自ら助くるものを助く。どうしたらよろこんでもらえるかと考える先に、どこがよろこんでもらえないのか、そう気がついたところに、蓮の花がひらくよう、パチンと音立てて私の心の花はひらいてきました。
陰気だったんだ、私の芸は。もともと、口調がムズムズと重いそのうえに、暮らし向きのいけないこともそれへ輪をかけて私の高座を暗いジメジメしたものにし、ずいぶん理に積んでいて陰気至極だったんだ。
それだけに脇の下をくすぐって無理にお客さまを笑わすようなケレンは露いささかかももちあわせていなかったから、師匠燕枝はじめ、死んだ燕路さん、年枝さん、鶴枝さんたちはみんながみんな、それケレンのない、一応、本筋だというところを、わずかにほめていてくれたんだろうが、じつにそれ以外のなにものでもまたなかったわけだったんだ。
しかし、しかし、いくら本筋であるとしても、お客さまは、ことにこうしたこの頃の戦争の最中のお客さまは、一日の疲れを笑いで洗い落として明日は二倍お国のために働きたく、いわばその元気の元を仕入れに寄席へおいでなさるのだから、そのお客さまたちに私のような石橋を叩いて渡るようなただコチコチの、盲縞《めくらじま》みたような陰気な芸はおよそ御迷惑だったろう。
とすると仲間のほめるのもうそでなければ、だのにお客さまのよろこんでくださらない、したがって人気の立たないということもまた、あまりにもほんとうの話だろう。ああ、かくては誰を怨むせき[#「せき」に傍点]があるだろうか。
初めてこう悟ると、とたんにまたひとつ私は芋づる式に悟りましたね、そうだいままでの私は臭《くさ》い芸はいけない、ケレンは慎もう、ひたすら、そればかり考えすぎたあげくが、本筋の芸はただ几帳面な味も素《そ》ッ気《け》もないパサパサのものでいいのだと思い込んでしまっていた。いけない。それではいけない。悪くすぐりでなく、品好く、本筋であるうえに、もうひとつふるいつきたいほどその味が美味《おい》しいのでなければ……。では、どうしたらその味が出るか、本筋なうえに面白おかしい味が出て、皆さんによろこんでいただくことができるか。
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