の乱れが青白い横顔へ二た三筋ぢ、息喘ませて、しつかりキユーツと相手を抱寄せ、抱きしめてゐる美男栄之丞。
重なり合つた二つの美しい顔と顔には、じつとり玉の汗がながれ、光つて、折柄、廊下を小走りに行く誰かの足音。
はるかにシヤリリンと金棒曳き、犬の遠吠、有明ちかい兵庫屋の大屋根を斜めに、一と声、ほとゝぎすが啼いてとほつた。
わが伯龍の、無言の動作《しぐさ》は、云はぬは云ふにいやまさる、かうした人情本の仇夢を、いと媚《なま》めかしく私たちに覗かせて呉れた。
聴いてゐながら、さう云つても感慨深く私は、次々といろ/\さま/″\の遠く過去つた日のことを、おもひ起さないわけには行かなかつた。
先づ、あの、死んだ松崎天民の恋のこと。
豪放磊落のやうで、じつはおよそ涙脆かつた「倫落の女」の作者天民は、中年に至つて今日も名高い某温泉旅館縁辺のわかい未亡人を烈しく恋したが、彼女をめぐる求婚者には、当時第一流の日本画家があり、早稲田派の気鋭の作家があり、この中に挟まつて、刻々、彼の旗いろは悪くなつたその上に、天民の片眼は義眼で、いつも就眠前、取外しては枕許へ置いておくのが常だつたのを、一夜、偶々
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