悪謔を弄したことだつた。
さうしたことは言外にそゞろ聯想せしめてこそ、高踏な艶笑物語とはなるものを、さりとは折角精魂|含《こ》めて再刻した国貞《くにさだ》や英泉の美しい複製版画を、自ら墨滴で汚してしまつてゐるものとじつに私は惜み度かつた。
そこへ行くと同じ「七之助」でも、お滝との船中の馴れそめ、「美の吉ころし」の美の吉と熊次郎の媾曳《あいびき》、「人生劇場」(尾崎士郎作)の飛車角とその情人たるチヤブ屋女の歓会、それらの章りは、前述の悪謔がなくて活き/\たる描写にのみ終始してゐたから、極めて妖艶な哀艶な詩趣を漲らせ、芸術的なあぶな絵として、永遠の珍重に価した。
同じく彼の佳きレパートリイの一つたる「吉原百人斬」の中の宝生《ほうしやう》栄之丞住居の一席も、艶冶な描写が、いまに私の耳を哀しく悩ましく擽《くすぐ》つて熄まない。
マ紹介して見よう。
一
享保三年五月四日の午《ひる》下り、よく真青に雲なく晴れわたつた夏空で、云ふまでもなく陰暦だから、いまなら六月末の日の光りがギラ/\と眩しく暑い。
そここゝに鯉幟りが、五色の吹流しが、威勢よくひるがへつてカラ/\音立て、廻
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