して見ると、
「勢朝」
次の間へ声をかけ、
「お前、お嬢さまを馬車までお送りしてお帰し申せ。それからお前だけ二葉町へ先に帰れ。そして今夜は私は帰らないからと伝えておくれ」
――そのままつぶらな目を伏せ、ちょこなん[#「ちょこなん」に傍点]と西洋服のまんま座っている静江を残して、さっさと彼は吹貫亭を立ち出ていってしまった。
それから十分ばかりのち、圓朝を乗せた人力車は、暗い湯島の切通しから、本郷三丁目を壱岐殿《いきどの》坂へと、鉄輪の音響《おと》を立てながら走っていた。
十一時過ぎとはいえ、新秋の宵の本郷通りは放歌高吟の書生の群が往来繁く、ときどき赤門のほうで歓声が上がった。
「加賀さまのほうで花火を上げているそうでござんすよ」
車夫の音松はそう言ったが、俥《くるま》の上で振り返って見てもそれらしい光は見えず、雨もよいの風はひいやりと涼しく、夜空がいたずらに赤茶けていた。
――これから招ばれて行く馬越様とは、実業界にときめく馬越恭平が芝桜川の邸宅では、今夜川田小一郎、渋沢栄一などときの紳商に圓朝をまじえた人たちが、夜を徹して風流韻事を語り明かそうという。いつか、日本の芸界で
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