新聞紙に包んだものをぶら下げて、勝手元から顔中が鼻ばかりみたような飄逸な顔を見せたのは、滑稽噺とすててこ[#「すててこ」に傍点]に市井の麒麟児と歌われそめた三遊亭圓遊だった。
「いけねえんだ。まるっきり、もののあいろ[#「あいろ」に傍点]がつかねえもの」
「あと十日とは、もつめえよ」
 氷を砕《か》いていた圓生と勢朝改め圓楽は、代わるがわる圓遊の顔を見上げて言った。
「そんなにひどいのかい」
「なにしろお前、五、六日、そうだ両国の川開き前後からだ、花火が見てえ見てえって、子どものように駄々をこねて困るんだよ。そのくせ、物干しへ連れて上がったって、仰向いて空を見る気力なんざあ、とてもおあんなさらねえんだがね。なにしろ、花火花火って取っ憑《つ》かれたようなんだよ」
 悲しそうに圓楽は口を尖らせた。
「さ、それをちょっとさるところから聞いたから、今日は師匠の土産に、これを持ってきたんだよ」
 新聞紙包を差し出して圓遊は、
「線香花火がたくさん入ってるんだ。これなら、師匠の枕もとで楽に上げられるだろう」
「なるほど、こいつはオツリキだ。線香花火たあ、いい趣向だ」
「やっぱり圓遊は圓遊だけのことがあるね」
 目と目を見合わせて二人は感心した。
「圓楽や……圓楽や……あの……花火は」
 奥からかすれた声が聞こえてきた。
「あッ、師匠だ」
「ウム、師匠だ」
「お目ざめらしい」
 どやどや三人は病床へ入り込んでいった。
 もう、すっかり眼が窪み、頬が落ち、眼のふちには黒い隈さえ縁取られて傷ましい「死」の影に蝕《むしば》まれた圓朝は、名声と地位とを克ち得てからなんの苦労もなく、一緒になった四十がらみの大柄のいかにも奥様奥様した妻女お幸に傍らから団扇の風を送られながら、しきりと蒲団の面へ荒い呼吸の波を見せていた。
「さ、師匠。今夜は川開きですぜ。綺麗な花火をお目にかけやしょう」
 立ちのまま言いながら圓遊は、高座で十八番の「すててこ」を踊るときのように、新しい手拭で鉢巻をし、尻を端折ると、最前の新聞紙をバサバサ開いた。――なかには、たくさんの線香花火が牡丹色と黄色と紫と朱でだんだらに絞られた細身の軸を横たえていた。
 素早くその一本をつまみ取って、圓朝の枕もとにあった煙草盆の火をうつすと、シュッと燃え上がった火勢は、間もなく酸漿《ほおずき》ほどの火玉となり、さらさらさっと八方へ、麻の葉
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