して見ると、
「勢朝」
次の間へ声をかけ、
「お前、お嬢さまを馬車までお送りしてお帰し申せ。それからお前だけ二葉町へ先に帰れ。そして今夜は私は帰らないからと伝えておくれ」
――そのままつぶらな目を伏せ、ちょこなん[#「ちょこなん」に傍点]と西洋服のまんま座っている静江を残して、さっさと彼は吹貫亭を立ち出ていってしまった。
それから十分ばかりのち、圓朝を乗せた人力車は、暗い湯島の切通しから、本郷三丁目を壱岐殿《いきどの》坂へと、鉄輪の音響《おと》を立てながら走っていた。
十一時過ぎとはいえ、新秋の宵の本郷通りは放歌高吟の書生の群が往来繁く、ときどき赤門のほうで歓声が上がった。
「加賀さまのほうで花火を上げているそうでござんすよ」
車夫の音松はそう言ったが、俥《くるま》の上で振り返って見てもそれらしい光は見えず、雨もよいの風はひいやりと涼しく、夜空がいたずらに赤茶けていた。
――これから招ばれて行く馬越様とは、実業界にときめく馬越恭平が芝桜川の邸宅では、今夜川田小一郎、渋沢栄一などときの紳商に圓朝をまじえた人たちが、夜を徹して風流韻事を語り明かそうという。いつか、日本の芸界で市川團十郎、尾上菊五郎、常磐津林中《ときわずりんちゅう》などとともに第一流の人物に仲間入りをしていた彼、圓朝だった。たまたま、いま花火のひと言から、軌みゆく人力車上に、つくづくと彼は「時の流れ」ということを考えてみないわけにはゆかなかった。
と――思いもかけず、吹貫亭の四畳半へ置いてけぼりにしてきた勅使河原静江の黒目がちの眼差が、幻燈の画面のように眼先へちらついてきた。それがお絲の顔に変わった。飽きも飽かれもせぬものを、生木を割かれて別れたお絲の。
「お絲と別れて自棄《やけ》になった時分の圓朝なら、あの脂の乗りきった出戻りのお嬢さまに、名僧知識そこのけのお説教を聞かすような、もったいねえ真似はしなかったはずだ。ああ、こうなると、いっそ大川へ浴衣がけで飛び込んだ江戸の昔が懐しいや。いや、ことによるとあのときが俺の生涯でいちばんよかったときかも……。
圓朝はふッとお絲の肌の温《ぬく》みを思いうかべ、今さらにあの日が、あのときが恋しかった。キューッと胸しめつけられるほど慕わしかった。「は、はッくしょい」と彼はくしゃみをした。五位鷺《ごいさぎ》が、頭上で啼いた。
……以上を断章の「第二」
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