たちまち一升桝十個ずつで取り囲まれた万里の長城みたいな正四角形ができあがった、続いて上へも崩れないように一升桝を十個ずつ四隅へ積み上げた。見上げるような高さだった。
よしよし。これでいい。ほくそ笑みつつ彼は寸法を測った。
驚くなかれ。縦の高さが五尺、横の長さが一間というデカバチもない見積りができあがった。じゃ、ひとつこの四角ン中へ入って仕事をするかな。正四角形の真ん中にあたるところへ入り、大あぐらをかいて圓太郎は、せッかち[#「せッかち」に傍点]に鉄槌の音をさせはじめた。後払いの約束で手金を打ってもらってきた部厚な板で、まず底にあたる部分をセッセとこしらえた。まもなく大チャブ台をふたつ合わせたような底ができあがった。すぐそれを敷いて、ドスンと彼はその上に座った。しかしずいぶん材料にお銭がかかるなア。こんな高えもんたア思わなかったよ。たちまちながら今度は四隅に取りかかった。東側をひとつ削りあげると、手早く底へ打ちつけた。北側へかかった。これもできた。また打ちつけた。西側もでき、これで板囲いみたいな三方がどうやらできた。
さアもうひとつだ。最後の勇気をふり絞って、ゴシゴシ南側の板を削りはじめた。削り終ると、すぐにトヽヽヽヽンと打ちつけた。四隅が塞がれたのでにわかに目の前が薄暗くなり、その暗い中で見上げると、早桶の倍もありそうな桝の中に小さく自分が座っていた。
できたできた。圓太郎はよろこんだ。
さア、今のうちひとッ風呂浴びて、汗を流してくるとしよう。急いで立ち上がると、東側のフチへ手をかけて出ようとしたが、高くてとても出られなかった。いけねえ。西側へまわってみたが同じことだった。
オヤオヤ。北側も南側も駄目だった。どうしても出ることはできなかった。いつまでやってみても同じことだった。だんだん辺りが暮れかけてきた。部屋の中が暗くなってきた。
いけねえいけねえ、こいつァいけねえ。圓太郎はジリジリしてきて――。誰か誰か来て。お隣の小母《おば》さアん。早く梯子《はしご》を持ってきて――。とうとうムキになって彼は、怒鳴りだした。
お手討
翌朝。大八車で運ばれてきた据え風呂桶の化け物みたいなこの一斗桝を見て、圓朝は肝をつぶした。
「ナ、なんだイこりゃアお前」
「一斗桝ですよ」
圓太郎は得意そうだった。
「一斗桝? そんな馬鹿な。お前こんなバカバカしい一斗桝がありますか」
「だって師匠そう言ったでしょ昨日。一斗桝てのは一升桝の十倍だって」
「アア」
「だからあれから懇意なとこで一升桝をたくさん借りてきて、十ずつ縦横四隅へ並べてみてその寸法でこしらえたンですよ。だから間違いッこはありゃしません」
「あきれるねェ、お前にも」
圓朝は言った。
「違うンだよ。そりゃ一斗桝は一升桝の十倍に違いはないけれど、十倍てのは内側の正味のもの[#「もの」に傍点]を測るところの十倍だよ。それをお前は外側を十倍にしちまったからこんな馬鹿馬鹿しいものができてしまったんだよ」
「ア、そうか。中身の十倍か。そうと知ったらこんなに板を買うンじゃなかった。じゃア、まア師匠、手金を二十銭置いちまったからこれだけお返し申しましょう」
圓太郎はがま口の中から昨日の二十銭銀貨を四枚取り出した。
「いいンだよ、いいンだよ」
あわてて圓朝は押し返した。
「なにもやったお金を返してくれと言うンじゃないよ。取っておおき、取っておおき。それはお正月のお小遣いにあげたんだから」
「そうですか師匠、でもなんだか……」
「いいンだよ、しかし圓太郎。お前はよくよく大工は名人だねエ。昨日吊ってくれたあの棚ねエ、あれもすぐに落ちてしまったよ」
「アレ」
圓太郎は丸い目をさらに丸くした。
「それもいいけど、お八重が直したらすぐ吊れて、今度は落ちもなんともしないよ」
情けねえことになったもンだ。じゃ俺が吊った棚の後始末はお八重ちゃんがしたのかイ。アア、それであの子、俺に愛想をつかして、今朝は姿も見せないンだな。
「しかし師匠、あれが落ちるわけがねえンだがなア」
未練らしく圓太郎は言った。
「だって、お前、落ちたものはしょうがない。女のお八重に吊れるものが、男の、まして大工のお前さんに吊れないンだ」
圓朝は笑った。
「でもそんなそんな。そんなはずはほんとにないンだけれどなア」
なおもひとしきり小首を傾げて考えていたが、やがてのことにポンと手をうって、
「ア、わかった師匠。じゃアあなた、あッしの吊った棚へなにか載せやしませんか」
「オイオイ、いい加減におしよ馬鹿馬鹿しい。世のなかに載せない棚てのがあるもンかネ」
あきれ返って圓朝はもうなんにも言わなくなると、しばらく細い目をパチパチさせていたが、
「まア、そんな話はどうでもいい。ここに紋付が出ているから早くそれを着ておしまい。すぐ近江様へ年忘れの芝居噺のお座敷にゆくンだ。いいかイ、私も着替えてくるから」
言いつけたまま奥へ入っていった。
まもなく支度のできた二人は、代地河岸の家を後にした。うやうやしく三つ扇の黒紋付を着た圓朝の後から圓太郎は、芝居噺の道具の入った大きな風呂敷を担いで両国橋を東へ。横網の近江様のお屋敷へと急いだ。△△侯爵邸を俗に近江様という、横網の河岸ッぷちに名物の赤い御門が見えていた。その赤門のくぐり[#「くぐり」に傍点]から圓朝主従は入っていった。
案内を乞うと、用人がすぐ二人を楽屋にあてられた休息所へ連れていった。が、圓太郎はそこにオチオチしていられなかった。すぐ芝居噺の組み立てにかからねばならなかった。背負っていった大風呂敷を持って彼は、舞台のほうへ出かけてゆくと、定式幕《じょうしきまく》や野遠見《のどおみ》の背景や小道具の稲叢《いなむら》を飾りつけた。それからヘッピリ腰で欄間へあがると、またしても不器用な手つきで鉄槌を握って、今度は立木や灯入りの月や両袖などをトンカチンと打ちつけた。
こんな高えところへあがってると目が眩んで、ガタガタ足がふるえてしかたがねえや。片手を柱へしがみつくように巻きつけて彼は、いちばん大きな杉の立木のすわりをよくしようと、片手で鉄槌を振りあげかけると、ベリッ。綿入れの袖を小枝へ引ッかけ、ひどい鉤裂《かぎざき》をしてしまった。
しまった、ギクッとすると手がお留守になり、鉄槌はスルリと指と指の間を抜けて下へ落ちていった。いけねえ重ね重ねだ。いまいましそうに圓太郎は舌打ちした。そのときだった。十ぐらいになる内裏雛《だいりびな》のような品のいい男の子が藤納戸の紋服に手遊びのような大小を差してお供もなく、チョコチョコ駆け出してきた。ヒョイとその子の上へ目を落とすと、
「オイ坊や――」
「…………」
男の子は立ちどまり、怪訝そうに彼を見上げた。
「いいところへ来てくれたな坊や。すまねえがお前の足もとの鉄槌をちょっと拾ってくンねえな」
口を尖らし、唇の尖《さき》で圓太郎は鉄槌のありかを指すようにした。
「これか」
言われるままに男の子は鉄槌を取り上げると、圓太郎のほうへ手を伸ばした。
「それだそれだ」
そいつ[#「そいつ」に傍点]をグイと伸ばした右足の親指とで挟んだ彼は、
「ありがとよ坊や。アトで小父さんがうんと美味しい南京豆買ってやるからな」
「この馬鹿野郎、いい加減にしろ」
あっけにとられていた男の子が廊下の彼方へ行ってしまったとき、白いほど青くなって飛び込んできた師匠の三遊亭圓朝だった。
「なんて真似をしやがるンだ圓太郎。世のなかにお前のような不作法千万な男がありますか」
圓朝はたまたま道具しらべに入ってこようとして次の間からこのていたらくを見たのだった。
「今のはこちらの若様じゃないか」
「…………」
「高貴のお方に鉄槌を取らせ、申すさえあるに、足の指で受け取るとはなんてえことです」
「…………」
「おまけに、坊や後で小父さんが南京豆買ってやる。近江様の若様が南京豆なぞお上がンなさるか。私ァ聞いててハラハラしました」
光った圓朝の額に冷汗が滲《にじ》み、呼吸づかいがただごとでなく乱れていた。
「あいすみません、実になんともはやどうも」
ようやく圓太郎にも事の重大性がおぼろげなりに感じられてきて、欄間の上から頭を下げた。
「私にあやまってどうなります。ことによるとお手討だゾお前は」
情なさそうに圓朝は言った。
「…………」
が、そう聞かされても圓太郎は顔色ひとつ変えなかった。キョトンと首を傾げているばかりだった。
「冗談じゃねえ、お前お手討だよ」
圓朝はまたおしかぶせて言った。
「そうですか、お手討ですか、エエ、よござんすとも」
ますます彼は落ちつきはらっていた。
「アレ、この野郎お手討を平気でいやがる」
あきれたように圓朝は、
「圓太郎、お前いったいお手討ってなんだか知っているのか」
「…………」
言下に彼は首を左右に振ってみせた。
「アレだ。よく聞いとけよ。お手討てのはナ、新身の一刀試し斬り。お前の首と胴とが生き別れになるンだぜ」
世にもおそろしい顔つきで圓朝に言われた途端、
「エ。私の首と胴とが離れる? ソソソそれは。ヒ、人殺し――」
悲鳴をあげた圓太郎は立ちのまま全身を硬ばらせ、白眼をむき出して両手を差し上げたからたまらない。ガラガラガラガラン、バリバリドタドタドタドタンピシーン。仰向けざまに彼の身体は芝居噺の美しい道具の中へ落っこちてきて、そこらじゅう、滅茶滅茶になってしまった。
「あやまッといてくださいよ師匠、ごめんなさい、ごめんなさいよウ」
こんなことを言いながら慌てて起き上がった圓太郎は、脱兎のように駆け出していってしまった。
その晩のこと
「お前のような馬鹿馬鹿しい奴をいつまで三下同様に追い使っていたのは私の間違いだった」
その晩、代地の家で圓朝はまだ青い顔をしたまんまの圓太郎を前にしてシミジミ言った。
「お前のような男は一人前の真打になってはじめて人間の馬鹿らしさまでが人からほめられる。こうやって三下《さんした》でくすぶっているうちはいつまでもいつまでも馬鹿扱いだ」
「…………」
「これは今の日本の国のことにして考えてみても同じだろう。たとえば、国民皆兵――」
言いかけて、ふと圓朝は口をつぐんだ。国民皆兵なんて漢語の意味の、とうてい圓太郎にわかるはずのないことに気がついたからだった。
「つまり国民は皆兵隊さんだというけれど、身体のそれに向かない人はてんでてんでの商売に精を出して、お国へ御奉公をするだろう。お前もそれだよ。前座二つ目のチマチマした修業はやめて、芸一本槍で血の汗を流してゆくよりありますまい」
「…………」
「まったくお前は生まれながらの落語家だ。することなすことひとつひとつがみんな落語になっている。ずいぶんいろんな弟子をおいてみたが、死んだぽん太とお前ほど奇妙な奴は初めてだ」
圓朝は笑った。ぽん太というのは蚊帳《かや》を着物に仕立て直し、その蚊帳の四隅の鐶《かん》を紋の代わりに結いつけてすましていた変わり者だった。
「幸いに今日のお前の失敗も、近江の殿様は下情に通じてお出だから、お笑いになって事がすんだ」
「…………」
アア、よかった。しんから圓太郎はホッとせずにはいられなかった。
「もう今日ッきりお前に前座同様のコマコマした仕事は言いつけないから安心して芸にお打ち込み。いいかえ。今月と言ってももう晦日《みそか》だから、正月の下席からお前は真打だ。両国の立花家で看板をお上げ」
「エ」
圓太郎は耳を疑った。真打に。この俺が真打だ。考えられないことだった。夢のような話だった。ありがてえ。自分から後光がさしてくるような明るい晴れがましい気持ちがされてきた。
「ついてはお前。真打が女房もなしでくすぶっていちゃウダツがあがらないよ。お神さんをお持ち。私がいいのを世話してあげよう」
圓太郎の顔を覗きこむようにして圓朝は、言った。いかにもこの弟子がかわいくてかわいくてならないという風情だった。シミジミその温かい師匠の心持ちが圓太郎の胸に流れ入ってきて、ジーンと目頭が熱くなった。
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