てしまった。いつもの勝気にも似ず、今夜は圓太郎の言葉も耳に入らないほどワクワクしている様子だった。
 プープープププー。このとき喇叭の響きはいっそう近づいてきて、ハイカラな乗合馬車がお客様を巨体へいっぱい鈴鳴りにして走ってきた。スコッチ服の馭者《ぎょしゃ》がキチンと馭者台へ座ってときどき思い出したように片手の喇叭を吹き鳴らしながら、往来を横切ろうとする老人などに、
「お婆さん、オイ危いよ」
 と声高に叱りつけた。いかにも文明であり、開化であった。人々は感激し、熱狂した。興奮のルツボのなかでやたらに喇叭が鳴りつづけていた。
「立派だこと」
 お八重は切れ長の目を潤ませていた。
「素晴らしい、ほんとにこいつア」
 いつかピッタリお八重のほうへ肩を摺りつけるようにしながら圓太郎も、満足そうにつぶやいた。なんとも言えない幸福感でいっぱいだった。背が三寸ほどひと晩のうちにスクスクと伸びたような気がされた。と次の瞬間、彼、圓太郎の素晴らしい芸術欲がモクモク頭をもちあげてきた。
 それは文字どおりの日進月歩してゆく開化日本の象徴のようなこの絢やかな乗合馬車の姿を目に見てだった。見るからに急進国の素晴
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