動いろいろの点から是が非でももうひと晩もうひとつ晩と意味なく飴のごとくに物語を延びさせてしまったものではなかろうか。現に故伊藤痴遊氏のごとき荒木又右衛門をして伊賀の上野に三十六番斬を演ぜしめたは、当の又右衛門ならずして神田一山なりとされている。つまり一山、まず一人だけ斬ってお後明晩としたところ、翌晩、倍のお客がきた、でまた一人斬ってまた明晩、また一人また明晩、また一人また明晩、ついに三十六人目にようやくめざす河合又五郎を斬って棄てめでたく仇討本懐を遂げるとともにようやく日延べつづきの興行の千秋楽を迎えるに至ったというのである。でも一山の場合は毎晩一人ずつ斬る、その一人ずつの斬り方がことごとくちがっていたため、いっそう大好評だったといわれるから素晴らしい。
 その点怪談のまくらにおいて見事後代の典山に勝った圓朝は、無理から噺を引き延ばす技巧においては同時代(だろうとおもう)の一山に敗れたりといわねばなるまい。さりながら冒頭にもすでに述べたが大正末年から大東亜戦争寸前まであまりにも企業化してしまった我が文学界においても、屡々すでに結末に近付いている大衆小説を、あるいは好評なるがため、あるいはまた次なる連載の新作家の原稿まだこらざるため、無理矢理回数を延ばさしむる怪風習の行われること少なくなかった。しかもその都度容易に執筆者のこれを肯い、必ずやその結果は支離滅裂の極みなる作品のみ産出されいたることをおもえば、ひとり我が圓朝のみを責むるははなはだ当っていないかもしれない。
 三遊亭圓朝無舌居士、妄評多罪、乞諒焉。
[#地から1字上げ]――終



底本:「小説 圓朝」河出文庫、河出書房新社
   2005(平成17)年7月20日初版発行
底本の親本:「小説 圓朝」三杏書院
   1943(昭和18)年4月刊
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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