々の士分といえども十両以上[#「十両以上」に白丸傍点]の大金は決して肌にしてはいなかった。常に十両金さえ所持していれば、ひとたび君公の命下ったとき我が家へ戻らずして彼らは、蝦夷松前の果てまでもそのまま行かれた。即ち十両盗めば首の笠台の飛んだ所以《ゆえん》、「どうして九両三分二朱」の名洒落ある所以である。
が、その綺堂先生も言われている(名人錦城齋典山もまた同様のことをいったそうだ)。
「あれといい、これといい、今宵に迫る二百両[#「二百両」に白丸傍点]、こりゃ如何《どう》したらよかろうぞえ」
と、きて、はじめて、人生は芝居になる。絵になる。詩になる。すなわち現実の真でなく、芸術の上の真として、大方の胸へ囁き、ひびくものがある。いくらそれが決定的事実であるとしても、
「今宵に迫る十三両と三分[#「十三両と三分」に白丸傍点]」
ではね、と……。
百両の金貰って長兵衛、佐野槌あとに吾妻橋へ。ここで身投げを助けるのであるが、この身投げが「身投げじゃねえか」と訊かれたとき「なに宜しゅうございます」という。くどく事情を訊ねられると、決心した上のことゆえ「お構いなく往らしって下さいまし」とい
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