化の風が盛んに吹き捲っている。学校に通う生徒などは、もちろん怪談のたぐいを信じないように教育されている。その時代にこの怪談を売物にして、東京中の人気をほとんど独占していたのは、怖い物見たさ聴きたさが人間の本能であるとはいえ、確かに圓朝の技倆に因るものであると、今でも私は信じている。
「鏡ヶ池操松影」(江島屋騒動)
「牡丹燈籠に次いで有名な怪談であります」と『圓朝全集』の編者鈴木行三氏は解説で述べておられる。
私はこの作が「牡丹燈籠」や「菊模様皿山奇談」に次ぐ初期の作であるため、ここに論《あげつら》うことにしたのであるが、いま久々に読み返してみて花嫁入水前後のくだり、江島屋の番頭金兵衛が呪いの老婆にめぐりあうくだり、この二席のほかは圓朝物としてはおよそ不傑作であり、大愚作であることを熟知した。しかもこの二席ある故にかりにも「牡丹燈籠に次いで」云々といわるるものあることをもまた思い知った。宜《ひべ》[#ルビの「ひべ」はママ]なる哉、近年の圓右(二代目)にしても、下って先代圓歌(初代)にしても決してこの二席以外のところは喋らなかったことによっても分ろう。
まず傑《すぐ》れ
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