ための不幸といえようが、最後の生母の手引きでの仇討場面でも宮部邸の「憎ッこい」の相助がまたまた雲助となってあらわれてくるのなどいよいよ同様の感が深い。但しこのとき鉄砲を携えた相助のくだりの挿話《ひきごと》で昔は旅人脅しに鉄砲と見せかけて夜半は「芋茎《ずいき》へ火縄を巻き付ける」ものあったと圓朝自身で、こうした事実談を説いているのはおもしろい。生母にめぐりあった直後、きょうの勇齋のことを孝助が新五兵衛に報告すると相変らず話半分しか聞かないでいちいち「そこは巧い」とか「そこのところは拙い」とか「いや、また巧くなった」とかいってしまうのも、じつにこの老人らしくて巧い。繰り返していうが「牡丹燈籠」全巻を通じて最も活き活きと描かれてるのはこの相川新五兵衛ではあるとおもう。
同時にこの物語を不朽の名作たらしめたは、やはり全篇をつうじてお露お米にカランコロンと下駄履かせた奇抜な構想にあり、紛れもなくあれが素晴らしく一般にアッピイルしたのではあるとおもう。よしや「牡丹燈記」の『お伽婢子』の『浮牡丹全伝』の換骨奪胎であるとしても、どの原作の幽霊も下駄音高くかよってきていはしない。完全に、そこだけは圓朝
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