巧さ、今も私の耳に残っている。團十郎もうまい、菊五郎も巧い。而も俳優はその人らしい扮装をして、その場らしい舞台に立って演じるのであるが、圓朝は単に扇一本を以て、その情景をこれほどに活動させるのであるから、実に話術の妙を竭《つく》したものといってよい。名人は畏るべきである」
 と記されてあるをもって知れよう。それにしても前述の愁嘆場と同じくこうした呼吸をもって表現するところは速記では全く味わい知るべくもない。この上もなく遺憾である。
 その代り仇討発足とのくだりでこれまた新五兵衛の孝助への烈しい愛情のあらわれであるが「私が細い金を選って、襦袢の中へ縫い込んで置く積りだから、肌身離さず身に著《つ》けて置きなさい」などは速記においても惜しみなく圓朝の会話の巧さをつたえているといえよう。その晩のおとく孝助の新枕《にいまくら》を「玉椿八千代までと思い思った夫婦中、初めての語らい、誠にお目出たいお話でございます」云々とまことにいやらしくなく、簡潔の中に一味清純な艶かしさをたたえていて凡手でない。
 かかるひまに萩原新三郎は一夜良石和尚から借りてきた金無垢の仏像を何者にか盗み去られて変死していた、愕
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