と移っているのであるが、かつて先代林家正蔵(七代目)は圓朝門下の大才圓喬のこのくだりのあまりにも水際立っていた点を極力私にたたえて聞かせ、当時の圓喬の演出は「矢張り這入れません」とのみポツンと切ってしまわず、怨めしそうにお露が軒端を見上げてまたもや泣いじゃくるのをお米がなだめてもういっぺん横手ヘツーッと……。この「ツーッと」を右手で形をしながら、「ツー」くらいまでいいかけて、
「……いやあまりお長くなりますから」
 と小声で世話に砕けて下りていくといった風だった由である。たしかにこの演出のほうが心憎いほど我々に水尾曳いてのこる余韻がある。或いはのち[#「のち」に傍点]には圓朝自身この演出を工夫し、それを弟子たる圓喬がつたえたものかもしれない。
 妾のお国は孝助の存在を憎むのあまり、源次郎の邸の若党で「鼻歌でデロレンなどを唄っている愚者《おろかもの》」相助をおだてて危害を加えさせようとするのであるが、この相助の用語がおよそ特異でいかにも愚鈍に感じられるからおもしろい。曰く「憎《にく》こい[#「こい」に白丸傍点]奴でございます、(中略)何時私が御主人の頭を打《にや》しました(中略)これはは
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