《ごう》も示していないのであるばかりでなく、「怪談乳房榎」は圓朝全作中での、かなり高く買われていいものということをすら述べて置こう。
 最後にこの「怪談乳房榎」の挿絵、圓朝とは國芳門下の同門である落合芳幾が描いている。真与太郎に添乳しているおきせの寝姿の艶かしさなど、夏の夜の美女の魅惑を描いてよほどの作品ではないのだろうか。やはり同門の月岡芳年も屡々圓朝物の挿絵を描いているが、このような情艶場面はついに芳年は芳幾に及んでいない。それについて最近読み返した永井荷風先生の『江戸芸術論』にたまたま左の章を発見したから、引いてみよう。
「明治二十五年芳年は多数の門人を残して能《よ》くその終りを全うせしが、その同門なる芳幾は依然として浮世絵在来の人物画を描きしの故か名声ようやく地に墜ち遂に錦絵を廃して陋巷に窮死せり(明治三十七年七十三歳を以て没す)。然れども今日吾人の見る処芳幾は決して芳年に劣るものならず。若し芳年を團十郎に比せんか芳幾はまさに五世菊五郎なるべし(下略)」
 まことに私も同感である。謹而《つつしんで》、落合芳幾画伯の冥福を祈りたい。

    「文七元結」



 つい先ごろも六代目が上演して好評だった「文七元結」は圓朝の作ではなく、圓朝以前にもあったかりそめ[#「かりそめ」に傍点]の噺を、これだけのものにしたのであると『圓朝全集』の編者は解説している。盲目の小せん(初代)が「白銅」をはじめこうした例は落語界には少なくない故、そう見ることが至当だろう。
 圓右、圓馬、先代圓生(五代目)、現志ん生(五代目)、現馬楽(五代目)とこれだけの人たちの「文七元結」がいま私の耳にのこっているが、その巧拙良否の論《あげつら》いはここでは書くまい。相変らず圓朝、左官の長兵衛の手腕を紹介するには「二人前の仕事を致し、早くって手際がよくって、塵際《ちりぎわ》などもすっきりして、落雁肌にむらのないように塗る左官は少ないもので、戸前口をこの人が塗れば、必ず火の這入るような事はないというので、何んな職人が蔵を拵えましても、戸前口だけは長兵衛さんに頼むというほど腕は良い」と蘊蓄《うんちく》を傾けている。左官のテクニックなんか知るよしもない私たちまでこういう風に聞かされると何だかこの長兵衛という人を頼んでみたくなるようなものを覚えてくるではないか。圓朝といえども全智全能ではないから何から何まで弁《わきま》えているわけではなく、その都度しらべてかかる場合も少なくなかったのだろうが、何にしてもこの凝りようが、毎々いうごとくどんなにそこに噺の真実味というものを倍加させていることか。
 然るにそれほどの腕を持ちながら怠けもので勝負事好きの長兵衛は、きょうもすってんてん[#「すってんてん」に傍点]に取られて「十一になる女の子の袢纏を借りて着」てかえってくると、家では家で、年ごろの娘お久がどこへいったか、行方しれずとなって騒いでいるところだった。顔を見るなり女房のお兼が「深川の一の鳥居まで」探しにいったと夫に訴えるのであるが、本所の達磨横丁(いまの本所表町)に住む長兵衛の女房として「深川の一の鳥居まで」というのは、何だか大へんに遠くまで探しにいった感じがよくでている。けだし「深川の一の鳥居」という言葉の中には、たしかにある距離的な哀感すら伴っているとおもうもの、私ひとりだろうか。しかもそれを聞いてから長兵衛が「ええ、おい、お久をどうかして」とか「居ねえって……え、おい」とかにわかにオロオロ我が子の上を追い求めだすところ、まことに根は善人なる長兵衛という人の性格を浮彫りにしているとおもう。
 家出したお久は長兵衛の出入先、吉原の佐野槌《さのづち》(速記本では角海老になっている、圓馬は佐野槌で演っていた、圓朝自身も高座では佐野槌で演っていたとある。但し、先日の六代目のは角海老で、念のため五代目菊五郎伝を見たらこれも角海老となっているのは当時の脚色者榎戸賢二、速記本に拠ったものなのであろうか――)へいっている。しかも呼びにこられて長兵衛がいってみると、お久は父親の借金を見兼ね、この年の瀬の越せるよう自分の身体を売りにきたのだと分る。お内儀はその孝心に免じて百両長兵衛に貸し与え、二年間店へださない故、その間に身請においで、その「代り二年経って身請にこないとお気の毒だが店へだすよ」とこう念を押される。ところで圓朝はこのやりとり[#「やりとり」に傍点]の前にお久の嘆きの言葉をいわせているが、圓馬も先代圓生もハッキリとこの後でいわせていた(圓右のはどうだったろうか、惜しやもうおぼえていない)。ハッキリこればかりは後のほうがいいとおもう。
「手荒い事でもして、お母《かあ》が血の道を起すか癪でも起したりすると、私がいれば」いいけれど、もう私が家にいないのだから、阿父《おとっ》さん
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