たる二席についてのみ、最初に語ろう。下総国大貫村にお里という美しい娘があり、それを名主の息子が見染めて嫁に迎えることとなる。名主は仕度金五十両を与えるのでお里は母と江戸へ上って芝日蔭町の江島屋という古着屋で(婚礼の日が迫っているので仕立てていては到底間に合わなかった)「赤地に松竹梅の縫のある振袖、白の掛帯から、平常のちょくちょく着まで」四十二両という買物をしてかえる。ところがこの婚礼衣裳が糊で貼り付けたまやかし[#「まやかし」に傍点]ものだったので、馬へ乗って先方へ輿入れの途中、大雨に濡れた。ために満座の中で「帯際から下がずたずたに切れ」た。「湯巻《ゆもじ》を新しく買うのを忘れたとみえ、十四、五の折、一度か二度締めた縮緬の土器《かわらけ》色になった短い湯巻が顕われ」た。面目玉を潰した名主は五十両の仕度金をやったにお前たちは五両か十両のものを買ってきたのだろうとカンカンになってお里母子を村内から追放する。カッと取り逆上《のぼせ》たお里は大利根へ身を投げて死んでしまう。
これがその一席――。
その年の冬、江島屋の番頭金兵衛が下総へ商用できて吹雪に道を失い、泊りを求めた茅《あば》ら家で夜半あやしき煙りが立つから破れ障子から奥の間を覗いて見ると、瘠せ衰えた老婆が「片膝を立てまして、骨と皮ばかりな手を捲り上げて、縫模様の着物をピリピリと引き裂いて囲炉裏の中へくべ、竹の火箸で灰の中へ何か文字のようなものを書いては、力を入れてウウンと突」く。さらにまた「縫模様をピリピリと破いてポカリッと火の中へ入れて、呼吸《いき》遣い荒く、ああと言って柱のほうへ往くと、柱に何か貼り付けてあって、釘が打ってある、それを石でコツーンと力に任せて打ちひょろひょろと転げてはまた起ち上って打つ事は幾度か知れません、打ち付けて、終《しまい》に石を投げ附けて、ひょろひょろと元の処へ戻ってきて、また火の中へ何かくべて居るその様子は実に身の毛もよ立つ程怖い」
いう迄もないこれがお里の母の成れの果てで、江島屋があのようなものを売ったばかりに、可愛い娘を殺してしまった。おのれ、江島屋め、人に怨みがあるものかないものかと、怨みの嫁入り衣裳を火中に、かくはいのちを賭けて呪っているのである。選りに選ってそのようなところへ泊り合わせた金兵衛は真っ青になって、その娘さんの回向料にと持ち合わせの金子《きんす》を与えると、夜明けを待ち兼ねてそこそこに逃げだしてしまう。「這々《ほうほう》の体で江戸へ立ち帰り、芝日蔭町の主家江島屋治右衛門方へ帰って参りますと、店先へ簾を垂れ、忌中と記してありますから、心の中にお出でたなと怖々ながら内へ這入り、様子を聞くと家内が急病で亡くなり、お通夜の晩に見世の小僧が穴蔵へ落ちて即死」
再び金兵衛ゾクゾクと慄えて「ああこの家も長いことはあるまい」と長嘆息する。
これがその二席――。
まことに戦慄《スリル》のほども新鮮そのものの怪談である。
糊貼りの婚礼衣裳が大雨に濡れて剥がれる発端も斬新なら、その衣裳を火中する老婆の姿もまことに無気味、さらに飛ぶようにかえってきた主家の表に忌中簾の下りている物凄さ――とまことに三拍子揃った構想の妙に、ただただ私は感嘆せずにはいられない。主家の忌中簾を見る一節など「新しすぎて凄い売家」とある「武玉川」の一句をおもいださずにはいられない。それには部分部分の描写会話もなかなかに秀でていて、老婆のくだりは前述したごとくであるが、お里の嫁入り馬の扮《こし》らえにしても、「馬《うま》へ乗って行くんだが、名主なら布団七|枚《めえ》も重ねる所だが、マア三枚にして置いて、赤《あけ》えのと、青えのと、それから萌黄のと、三枚布団で、化粧鞍を掛け、嫁子《よめっこ》さんを上へ結附《いいつ》けて行くんだよ」と村内の世話焼をしていわしめている。いかにも田舎田舎した婚礼馬の盛装が目に見えるようではないか。しかも「柔和《おとな》しい馬を村中探したが無《ね》えから」と、探すに事を欠いて「漸《ようや》っと小松川から盲目馬を一匹牽いてきやした」というのである。歓びたちまち凶と変じて、数時間後には大利根の藻屑となる薄幸の花嫁の運命を象徴すべく、盲目馬とは何たる憎い配合だろう。私の圓朝に脱帽せずにいられなくなるのは主としてこうしたところにあるのである。
またひとつ、家では老婆をして金兵衛に「何も御馳走は有りませんが唐土餅《からもち》と座頭|不知《しらず》という餅がありますから」と愛想をいわせている。いずれ『日本の菓子』の著者山崎斌君にでも質してみよう、寡聞にして私はこの二つの菓子の名を全く初耳なのであるが、唐土餅とか、ことに座頭不知などいかにも野中の一軒家でだされる餅菓子らしいではないか。こうした小道具の妙もまた、私の推賞して止まないところの圓朝のよさがある
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