が、これからあとの江島屋一家の運命は例の傀儡《かいらい》的な因縁また因縁で甚だ妙でない。「牡丹燈籠」や「累ヶ淵」(前半)の因縁は因縁なりにまずまず自然さがあるけれど、「江島屋」の場合は因縁のための因縁といったようなところがあって少しも実感なくおもしろくない。すべてお里母子の死霊の祟りの糸によって江島屋治右衛門は女狂いをはじめる、善良な夫婦養子は追い出され、しかも夫は紙屑買いに、妻は吉原松葉屋の小松という花魁とまでなり果ててしまう、これへ絡むにお里の義理ある兄倉岡元仲が江島屋養子安次郎の父や、小松の母の殺害事件があり、トド浅草石浜の鏡ヶ池で仇元仲を仕止めるという終末なのであるが、倉岡元仲という悪人の性格にも人間味なく所謂《いわゆる》ひとところの新派大悲劇的悪人という奴で少しも同感が強いられない。相棒の伴野林蔵も「英国孝子伝」の井生森又作という役どころであるが、又作ほど活々と描けていない。それには冒頭、小僧時代の安次郎が元仲に六十両捲き上げられたとき、それを救ってやるのは江島屋番頭金兵衛である。そのころまだ安次郎は横山町の島伝という糶呉服屋に勤めていたのであるが、その主人至っての強慾で詫びに連れていってくれた金兵衛がどう陳じても盗られた六十両を返せといって肯じない。乗りかかった船で侠気の金兵衛が主家の払いの金六十両を島伝に与え、無理から安次郎を江島屋へ連れ戻ってきて奉公人としてやるのである。
 もちろんこのような男ゆえ金兵衛には末始終なんの祟りもなく末安楽となるのではあるが、それにしてもいくら金兵衛が善人でも主人治右衛門がそうでなかったら、そのとき六十金を支払って易々と安次郎をかかえはしまい。また主人が嫌がるのを説き付けるだけの勢力ある金兵衛なら、この血も涙もある男の、到底糊貼り衣裳なんかは売りはしまい。立派な暖簾の手前にかけてもそんなまやかし[#「まやかし」に傍点]を売ることなど、させなかったはずである。これは圓朝にも似合わない不用意であり、失敗とおもう。むしろ強慾島伝のほうを古着屋にしてそこから悲劇を発生せしめ、死霊をして祟りに祟らせてやりたかった(だのに島伝は始めだけで全然終末まで顔をださない)。
 また一家の祟りに端を発して養子夫婦が逐いだされたり、殺人があったり、仇討ちがあったりという風に所謂お家騒動に仕立てられているが、かりに島伝へ祟るとしてももっとその一家の一人一人へ祟っていく凄惨さを中心に掘り下げていったなら、よほどおもしろくはなりはしなかっただろうか。つまり私は作者自らも謂っているところの「江島屋騒動[#「騒動」に白丸傍点]」でなく、あくまで「江島屋怪談[#「怪談」に白丸傍点]」でありたかった。つまり圓朝のアッシャ家の没落といきたかったのだ。全篇のほとんど大半をそういう怪奇と戦慄で仕立てていって、尚かつとどのつまりを善因善果の解決にまで持っていって持っていけないことはゆめなかったろうと信じている。
 何れにしてもこれは圓朝稀に見る不傑作であると同時に、しかもよく今日まで名声を克ち得ているのは、あえて再びいうが花嫁入水、老婆呪詛のあまりにも卓抜であり過ぎたためである。全くこの二席の空高く浮く昼月の美しさに比べ見て、なんと他のことごとくの闇汁のゴッタ[#「ゴッタ」に傍点]煮の鵺《ぬえ》料理の、ただいたずらに持って廻り、捏ねっ返して、下らなくでき過ぎていることよ。
 でもその持って廻っている十何席の間にも幾度かその場はその場としてなりの技巧の妙、会話の味、描写の冴えを見せているところ十指にあまるくらいであることはいう迄もない、いちいちの引例は略させて貰うが。
 おしまいに気のついたこと特に二つ書く。元仲と林蔵の会話にじつに屡々「君」「僕」がつかわれている。「牡丹燈籠」の新三郎、萩原間にもまた「君」「僕」がある。ほんとうに江戸の日の医者とか(元仲も志丈も医者あるいは医者くずれである)通人とかそうした人たちの用語にはこの「君」「僕」の用語があったのだろうか。それとも、時、文明開化の真っ只中、私たちが意識して自作の中で古風のいい方を時にやや現代風に変えるときがあるように、圓朝もまた心得ていてこの文明開化語を起用したのだろうか。大方の示教を得たい。
 もうひとつ倉岡元仲の父を倉岡元庵と名乗らせていることであるが、『圓朝全集』第十三巻の鈴木行三(古鶴)氏が『圓朝遺聞』を見よ、「妻子の事」の章に、
「圓朝は(中略)不図した事から御徒町の倉岡元庵というお同朋の娘お里との間に一子を挙ぐるような間柄になった」
 云々とある。
 このお里との間へできた「一子」が、のち[#「のち」に傍点]陋巷《ろうこう》に窮死した朝太郎で、私の『慈母観音』という小説にはその若き日の姿が採り上げられている。お里は圓朝と別れて失意落魄の境涯に入り、その母
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