入れて萩原様にもしものことあると私たち夫婦は食べていかれなくなるからと、幽霊に居直ってどこからどう持ちださせたものやら大枚百両持ってこさせ、ではと先立ってお札貼がしにでかけていったとき圓朝自らおみねをして「大層長かったね[#「長かったね」に傍点]、どうしたえ」と訊ねさせ、また伴蔵をして「覗いてみると、蚊帳が吊ってあって何だか分らないから裏手のほうへ廻るうちに」といわしめている用意に思い当るのである。「大層長かった」間に荒療治はなし遂げられたにちがいない。仕方がないので伴蔵は大風雨の晩、幸手《さって》堤へ呼び出してとうとうおみねをバッサリ殺ってしまう。と初七日の晩から女中へおみねの死霊が憑いて、「伴蔵さん、貝殻骨から乳の下へ掛けてズブズブと突きとおされた時の痛かったこと」などといいだす。困っているとき江戸から滞留の名医ありと聞いて呼び迎えると、いずくんぞしらん山本志丈。志丈だけに名医がとんだ只今のお笑い草である。しかも志丈の登場はいまはAB二つの完全に合流してしまっている、この物語にいよいよ拍車を掛けるのである。志丈は伴蔵の旧悪を知って強請り、某《なにがし》かの金銀を捲き上げたのち、伴蔵に連れられてお国と相見る。愕いたお国は志丈に旧悪を喋られてしまってはとあることないこと伴蔵に讒訴《ざんそ》する。しかし珍しくここでは伴蔵が志丈のいうことのほうを聞いてかえってしまうため、その晩病癒えた源次郎が押取刀《おっとりがたな》で因縁を付けに乗り込んできて後手を食うのはおもしろい。そこで翌日今度は自宅へ押し掛けてくるが、あべこべに飯島殺しの一件を伴蔵に暴かれ、お見それ申しましたとすごすご涙金で引き下がっていく。いよいよおもしろい。ただこのときの伴蔵が傍らの志丈もあとで賞めるよう「悪いという悪い事は二、三の水出し、遣《や》らずの最中《もなか》、野天《のてん》丁半の鼻ッ張り、ヤアの賭場《とば》まで逐ってきたのだ」などという台詞はさすがに垢抜けのしたものであるが少うし悪党振りがよ過ぎはしないかしら。いつの間に彼こんな大悪党になってしまったのだろうと少しく私にはいぶかしまれる。しょせんが幽霊に金をせびったほどの奴だとしてもその幽霊を案内していくときには恐しさに、梯子から落っこちて慄えた伴蔵である。お主《しゅう》の萩原を殺したとはいえ、これはまた半病人の軟弱そのものの代物である。もちろん、そ
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