それ故にこそなつかしい!)を沢山描いた、三代広重の末孫だらうか。それとも間男広重と呼ばれた人の身寄りなのだらうか。間男広重の所縁などいまのうち、伊藤晴雨氏にでも質しておかうとおもひながら、未だ果してゐない。
きのふも私はあの橋の上に立ちどまつて、暫し、ありし日の夢二さんが上をしみ/″\と偲んだ。私は夢二さんにこよなき装幀をかいてもらひながら、その市井随筆集はつひに上梓の運びに至らなかつた。しかも、その私の装幀がきつかけ[#「きつかけ」に傍点]となつて夢二さんの方は、間もなく女流作家と同棲したりしたのに、かんじんの装幀は、惜しや我が流寓のうちに失はれてしまつた。画伯逝いてもう何年になることだらう。
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広重の家のうしろの堀割は流れもあへずいまもあるらむ
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「小夜曲《セレナーデ》」にある夢二さんの歌は、たしかかうだとおぼえてゐる。[#地から1字上げ](昭和十七年夏)
風船あられ
飯蛸、鯖、魴※[#「魚+弗」、第3水準1−94−37]、白魚、さより、蛤、赤貝、栄螺、分葱、京葱、鶯餅、草餅、茶飯、木の芽――と、かたへのものゝ記には三月のあぢ
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