でゐたのではなかつたらうか。
 大正十年ころの前田雀郎の川柳に、
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首尾の松あたりで本屋また殖やし
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と一銭蒸汽の中の物売をスケッチしたよき句あるを、ふつといまおもひだしたからである。
 雀郎には、今日のやうな俳句擬ひの句でなく、まつたう[#「まつたう」に傍点]な、折目正しい、本筋の川柳作品がそのころいくつかあつた。

 渡し
 なんの渡しと云ふのだらう、その首尾の松の少し先、明治病院の横にほんのさゝやかな渡し場があつた。(富士見の渡しがそれだとのちにをしへられた)
 大川のながれから奥深く小さい長方形に屈り入つてゐる一角で、どす青いペンキ塗りの病舎の横をギイと舟が岸へ着くと、もうそこが代地河岸で、しよつちゆう艶かしい往来があつた。
 ある晩春の真昼、横綱の方からこの渡しへ乗つて来たら、病舎の下の石垣に一ぱい蒲公英が叢つてゐた。もう花はなく、稽綿許りが切りに有耶無耶の風に吹かれて病院で捨てたらしい汚物と一しよにフワフワ夕日の水面に飛び散つてゐた。
 それが大へん晩春らしくて悲しかつた。

 鞍掛橋
 鞍掛橋の下をながれる水は、神田川のわかれ
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