の一都市をえがいても当然かうした失敗は繰返すことにちがひあるまい。
[#地から1字上げ](昭和十四年春)

 広重の家

 首尾の松
 首尾の松のすがたをおぼえてゐる。私はほんの子供ごころに。
 いま、どこかへ退けてしまつた蔵前高工の真後で、大川とすれ/\のところに生えてゐる一ともとの松だつた。ひよろ/\と細い枝ぶりだつたやうな記憶があるが、それは私の間違ひだらうか。
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大汐に松をかすめて猪牙《ちょき》とほり
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 一世に諷はれた天明の狂歌師で、川柳家としては牛込蓬莱連の盟主だつた朱楽菅江にはこの川柳があり、近世では伊藤松宇に、
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しぐるゝや嬉しの森に首尾の松
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がある。ほんとうに四季をとほして、しぐれ、粉雪、さゞめ雪、さうしたはつ冬の、鈍い、どんよりとあぐねつくしたしゞまの中に置いてみて、一ばん趣深い「松」だつたやう、おもはれてならない。
 ところで、私は首めに「ほんの子供ごころに」とうつかりかいてしまつたけれど、よく/\考へてみると、首尾の松は震災の少し前まで枯れ/″\ながら尚且その余齢を喘いでゐたのではなかつたらうか。
 大正十年ころの前田雀郎の川柳に、
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首尾の松あたりで本屋また殖やし
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と一銭蒸汽の中の物売をスケッチしたよき句あるを、ふつといまおもひだしたからである。
 雀郎には、今日のやうな俳句擬ひの句でなく、まつたう[#「まつたう」に傍点]な、折目正しい、本筋の川柳作品がそのころいくつかあつた。

 渡し
 なんの渡しと云ふのだらう、その首尾の松の少し先、明治病院の横にほんのさゝやかな渡し場があつた。(富士見の渡しがそれだとのちにをしへられた)
 大川のながれから奥深く小さい長方形に屈り入つてゐる一角で、どす青いペンキ塗りの病舎の横をギイと舟が岸へ着くと、もうそこが代地河岸で、しよつちゆう艶かしい往来があつた。
 ある晩春の真昼、横綱の方からこの渡しへ乗つて来たら、病舎の下の石垣に一ぱい蒲公英が叢つてゐた。もう花はなく、稽綿許りが切りに有耶無耶の風に吹かれて病院で捨てたらしい汚物と一しよにフワフワ夕日の水面に飛び散つてゐた。
 それが大へん晩春らしくて悲しかつた。

 鞍掛橋
 鞍掛橋の下をながれる水は、神田川のわかれ
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