所で、この方は雪ではないが、岡本綺堂先生の『半七捕物帳』の「鷹のゆくへ」の中の雑司ヶ谷の落葉枯葉にふる時雨は、

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「村はづれまで来かかると、時雨がたうとうざつと降つて来たので、半七は手拭をかぶりながら早足に急いで来ると……」
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とあり、そこで雨宿りに飛込んだ蕎麦屋で半七がいろいろの手がかりを掴んで表へ出ると、

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「時雨雲はもう通り過ぎてしまつたらしく、初冬の弱い日のひかりが路傍の藁屋根をうす明るく照して来た」
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とこんな風に、サラツと降つてカラツとあがる、いかにも思ひきりのいい江戸のしぐれのふらせ方をしてゐられる。此が北国のしぐれだつたらとてもこんな安直な塩梅式にはゆかないだらう。雪としぐれとはちがふけれど、くどくも云ふとほり所詮が東京の大雪は、どんな大雪でもこのしぐれとおなじ宵越の銭を持たない大雪である。
 とは云ふものの、同じ泉先生の「三味線堀」には明治末年から大正初年へかけての佐竹一帯の幽暗な街の姿が実によくえがき出されてゐる。馬場孤蝶翁もかいてゐられたがほんとに私たちの子供のじぶんの佐竹には石垣があり、石蕗が咲き、蟇がなき、ああしたさびしい景色の家がザラに見られた。
 同じことが竹久夢二画伯の版画の上にも云へる。日本橋堀留の水の青さ、一石橋の甃石の日の光りは岡山生れでありながら東京錦絵風景を好んで愛された画伯の筆によくよく[#「よくよく」に傍点]写されてゐるけれど、近ごろ再版されてゐる三味線堀の図は掘割の水の群青の一刷毛でえがき出されてゐるため前記のかんじが全くでてゐない。どうしてもあすこの水のいろは薄墨色でベトツとなすつてもらはなければほんとでないのだ、高篤三所蔵「風俗画報」の「浅草名所図絵」の挿絵家山本松谷は流石に心得たもので三味線堀の図に配するに捕鼠器にかかつた鼠をこの堀に棄てに行く町娘並びにその背後から興がり噺し立てて行く町の悪童どもを描いてゐる。捕鼠器の中の鼠は未だ生きて跳ねてゐる。それがいか許りこの三味線堀の薄濁つた感じにピタリと来てゐることか。この点私たち東京育ちのものは巧拙に関らず、東京中の大ていの昔の町、昔の風情ならえがけるつもりだけれど、地方からでて来られた芸術家は、あの年代の人たちでも、尚且かうしたことがあるものと見える。同様に我々が他
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