ウンサーが多少まじつてゐたのかとおもつてゐたら、この傾向はだんだん年と共にひどくなつてゆく。
 そのくせ、アナウンサーの試験と云ふのは中々厳選のやうだけれど、一体、どんな人が試験官になるのだらう。鈴を振るやうな美声もいいし、「特許局許可局」が淀みなく云へるお方も勿論必要だけれど、訛りのない人を選ぶつてこともテストの重要なポイントの一つにぜひ加へて貰ひたいものだ。局には高橋邦太郎君、松島通夫君、坂本朝一君のごとき、チヤキ/\の江戸ツ子もゐることだから、その点の詮衡なら極めて容易であらうものを。
 アナウンスされて一ばん困るのは芸人の名前――取り分け講釈師の名前である。
 山陽・貞鏡・南龍・南玉などは、仮に類音を求めるならば東京[#「東京」に傍点]・放送[#「放送」に傍点]・天然[#「天然」に傍点]・行進[#「行進」に傍点]と云ふやうな言葉の場合の発音でやつて頂きたいのを、陰陽[#「陰陽」に傍点]・孝行[#「孝行」に傍点]・風流[#「風流」に傍点]・九州[#「九州」に傍点]と云ふやうな発音で紹介される。聞いてゐて何だか全く別人のやうなかんじがされて、じつに可笑しい。
 第一、地方の聴取者なんか、さう云ふ発音でおぼえ込んでしまひ、かくて訛りはいよ/\猫の子のその子の猫の猫の子の……と云つた具合に氾濫拡大されてゆくだらう
 取り戻す可し東京の声。[#地から1字上げ](昭和十四年秋)

 年の市

 先づ十二月の十四日、深川の八幡さまを皮切りとするこの東京の年の市は、次いで十七十八日が浅草の観音さまで、廿日廿一日が神田の明神さま、そのあと芝神明(廿二日)芝愛宕権現(廿四日)平河天神(廿五日)、さうして納めが二十八日の薬研堀だつたが、明治末からか大正からか俄に銀座の繁昌が一ときはとなつて、大晦日あすこの西側にも年の市が立つやうになつた。
 浅草の市、神田の市のそのころは、ともするととろんとあぐねて曇りがちの、夕かたまけて小雪のちら付いて来ることも屡々だつた。この浅草の年の市の夜の賑はひは、いま此を小林清親が旧東京版画の上に偲ぶ可し。さらに大正年代の富士山印東京レコードなる故柳家枝太郎が大津絵の「両国」の一節に聴くもよからう。
 曰く※[#歌記号、1−3−28]浅草市の売物は、雑器に塵とり貝杓子、とろろ昆布に伊勢海老か、桶ァ負けた、市ァ負けた、笹に付いたるこの面は、お福のお面と申
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