歩くという花街落語中の名作である。
 それにしても、階下の建物と建物に添ったところには、寿司、中華料理、しるこ、焼鳥、焼そば、焼芋の紅提灯が次々と点されている、射的場、化粧品店、輪タク、自転車預り所、美容院、さては深更《よふけ》まで営業している理髪店まであるに至っては、私のようなそそっかしいものは、うっかり飛び込んだらとんだ八幡の藪不知《やぶしらず》、出口も入り口もわからなくなってしまうかもしれない。
 荷風先生といえば先生は戦前の玉の井を、しばしば「迷宮《ラビラント》」の名称で呼ばれていたが、ほんとうにあの町もわかりにくいおぼえにくい一郭だった。一日、私のめぐりあった女は、三十近いつつましやかに美しい東京生まれの世帯くずしで、一応の文字もあり、寂しい野辺の花に似た感じが忘れられなくて再び訪れたが、たしかにこことおぼしい横丁を曲がったのにその家の前に出ず、とうとうそれっきりわからずじまいになってしまったことがあった。事変以前の二月はじめで、その翌日遊んだ箱根の温泉で立春を迎えたためだろう、たった一度でわからなくなってしまった人の思い出には、白梅の花に似た早春の匂いが色濃い。
 玉の井の
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