私の専属だったニットーレコードが上京して、東京側芸能人の吹き込みを開始したので、先代春團治と金語楼君以外はてんで落語レコードの売れなかったその時代、私は一計を案じて同君の十八番「居酒屋」のA面冒頭へさのさ節を配し、B面で夜更けの感じに新内流しを奏でさせて吹き込んだ。同じく私の推称した先代木村重松の「慶安太平記」(善達京上り)とともにこれが大ヒットして、トントン拍子に金馬君は旭日昇天の人気者になった(重松の善達もこのニットーの節調が一番哀しく美しいのに、私は今パルロフォンのややできの劣った方をのみ蔵している)。
 ところで「青春録」と上げた看板の手前、ここらでまた少しく当時の情痕をも振り返らせてもらうならば、依然として恋愛面は暗闇地獄の連続で、上京前後、堀江の妓女との恋愛にももう終止符が打たれるばかりになっていた。養生方々、近来成功者となった近県の伯父の許へ行くとて去った彼女だったが、その行先は少しもわからず、堀江の自家宛の通信の中へさらに封筒の周りを小さく折り畳んで入れた私宛の手紙がくる。それを堀江の家から、同じく妓女上がりの義姉が、私の宿へ運んで来てくれるのだったが、何とも言えないそ
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