今日もまた幾日かずつの第三次禁酒を断行している)青春惨酔の日の己れを思って、せめて今日、「酒」という己れの心の卑怯な、逃げ道を断って、まっとうに文覚那智山の荒行のごとく自分自身を責め、さいなみ、鍛えたいとは思うからである。もちろん、こんな精神的悲運の連続だったから私に二千円の身代金のオイソレとできようわけもなく私はひたすら日夜を焦燥悶々し続けてばかりいた。
 以上のうち私の自殺未遂の時がちょうど北村兼子君との「ハムレット」吹き込み前後で、妓との馴れそめが楽天地時代、世帯を畳み、また圓馬一家との確執が金竜館出演時代、アルコール中毒に悩んだのがこれから書く生涯にたったいっぺん南地花月、北の新地花月この二つの吉本系の檜舞台の寄席へ出演した時代前後数年のことである。
 さて私の吉本出演は、昭和四年の二月頃だったのではなかろうか。どうもこのあたりからこの物語の終末に至るまでの月日がおよそハッキリわからなくってしまっていることを今これを書きながらもしきりに感じるのであるが、けだし忌なこと続きだった私の半生の中でもとりわけ忌だった精神生活の部分であるから、多分心の中で早く忘れたい忘れたいと思っている
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