んで」
……じゃ、のべつたら[#「のべつたら」に傍点]に寝てるんだ。いまだいまだこのあとで、続けてその時述懐した彼の言い分がまたじつにおもしろいからついでに紹介してみよう。
曰く「それに私が師匠のところへ来たてには前の公園で共進会があってね、毎朝九時てぇときっとドカーンと大きな音をして花火が揚がったもんでびっくりして目がさめたんだけれど、あいにく共進会が先月でおしまいになっちまった。で、以来寝坊をするようになったんだが、だから今だって花火さえ揚げてくれりゃ[#「くれりゃ」は底本では「くれりや」]……」云々。
冗談だろう、いくら大阪市に冗な費用があったって、彼のために毎朝花火は揚げられない。
閑話休題――私は、この東奔|西駛《せいし》の二年間ほどのうちに、前に言った圓馬夫人斡旋の家庭がいよいよいけなくって服毒自殺を企てた。そののちさらにさらに家庭が駄目で、その頃来阪した師、吉井勇の座敷で、堀江のある若い妓に知り合うと、この妓を連れ下座[#「連れ下座」に傍点](専属の伴奏助演者)にしてせめては自分の噺を完成しようと、世帯を畳んで大正橋のほとりの下宿へ移り住み、時々妓と逢っていた。が
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