において二つが二つとも叶えられなかったその心の打ち身の名残りであろう。今や顧みて不憫な奴めと思わざるを得ない。
 しかし私は前にも言ったごとくたった一人、もしくは野郎同士ばかりで、毎晩毎晩寄席通いをした。今の桂文楽君は、当時の私の姿を高座の上から覚えていてくれて唯一の旧知である。私は灯が点くとさびしくなり、さびしくなるから寄席へ行った。蕩児のように。が、寄席へ行って太神楽や手品の、米洗いとか竹スとか砧《きぬた》とか錣《しころ》[#ルビの「しころ」は底本では「しろこ」]とかの寄席囃子を聴き、当時はいまだいまだ正統派な軽妙江戸前のが多々といた万橘三好、鯉《り》かん、勝次郎、枝太郎、歌六などの音曲師のうたう市井の俗歌を耳にすると、いっそうホロホロとさびしくなった。ましてそこの寄席に、美貌なるアベックの寄席ファンでも見出すならば、なおさらである。
 でも私は寄席通いが止められない。また行く。また、出かける。あまり毎晩毎晩同じ顔付けの寄席へばかり行っていたもので、とうとう一夜、誰がどんなギャグを言おうと全然笑えなくなってしまった。この時ばかりは打ち出しののち表へ出て、もうもう寄席もあまりにも食傷
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