の五郎、きどりや延若になった勝太郎、今の圓馬の小圓馬、今の春團治の福團治、花柳芳兵衛に転じている小春團治、青白い美男子だった二代目千橘。音曲には釜掘りの小圓太、めっかちの圓若。色物には尺八の扇遊、ビール瓶の曲芸の直造、紙切りのおもちゃ。ほかに英語をよくつかったざこばやお題噺の扇枝や、小男の塩鯛や、京都の三八や桃太郎や三馬や……こう書いているうちも、巧かったあまり巧くなかった、巧いけれど愉しめなかった、拙くても割合に好意の持てた、いろいろさまざまの高座の姿が見えてきて、私はこれらの人たちについて一々筆を走らせているだけでも百枚やそこらの随筆は、忽所《たちどころ》に書き上げられてしまうことだろう。
私はその頃の吉本連がJOBK不出演なのをいいことにラジオへ出たり、レコードへ吹き込んだり、あとは臨時出演ばかりしていたが、「南極のラジオ」「ラジオ幽霊」「恋のケーブルカー」「マリアの奇蹟」「新気養い張」「禁酒」「競馬場騒動」「道頓堀行進曲」「流れ木」これらがその時代の私の主なるレパートリーだった。自作や古典の新釈のほかは、西洋人情噺と銘打ってアイッシェ兄弟や最近みまかったトリスタンベルナールの
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