はない。でもあまりにもスターでありすぎた彼女は、男連れで人中へ出たので、いつもおずおずしとおしていた。しかもこの晩限りで私たちは当事者から一時仲を割かれ、病弱だった彼女は、療養生活にやるというのを表面の理由として伊予の一村落へ向けて出発させられてしまった。取り残されたこの私の、いうようなき失望よ、落胆よ、また悲嘆よ。
 女はその年の暮れには健康|恢復《かいふく》して再び宝塚へ帰ってきたが、二年のち、やっぱり別れた。その理由はかつて「下町育ち」という小説の中で書いたからここではいわない。ただそのおしまいまでプラトニックであったため、かえってつい十年ちかくまで不忘の幻になって目先に蘇り、私の半生を苦しめぬいて困った。後年、柳家三亀松が宝塚のスターを女房にしたと聞き、かりそめにも「新婚箱根の一夜」居士などに惚れる宝塚少女があるのに、この自分が掌中の白珠をむざむざ喪失するなどは何ごとぞと、文字どおり私は全身の血の冷え返るのを覚えたくらいだった。話が前後するが、私の宝塚の彼女は、その三代目小さんを聴いた翌年九月、休暇を取ってはるばる上京してきた。私はその頃好きでもあり別懇でもあった先々代林家正蔵
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