久恋の人と聴いた。小さんは「堀の内」をその時演じ、その前にこれも震禍を避けて来阪中の伯山が関東震災記を例の濶達な調子で読んだ。
 伯山のこの震災記がニットーレコードに間もなく二枚続きで吹き込まれたが、今日あったら珍品だろう。女は当時宝塚の人気スターで私より二つ上の二十二、私は二十で作家に成り立て、「文芸春秋」へ寄せた新作黄表紙が芥川さんに激賞されおよそ得意の絶頂時代だった。
 余談ではあるが、今日、とにかく私を五十歳、六十歳の老人だと思っている向きが多いのは、好んで取材する世界が明治東京であることと、二十の年に家が潰れて以来二十余年の作家生活をしだしたのであるということとをまったく計算に入れていないからである。女は、その時私の帽子(たしかいまだ新秋で麦藁帽子)を自分の膝の上に置いてくれたことが、どんなにどんなに嬉しかったろう。こう書くと情緒|纏綿《てんめん》のようであるが、遊びのひとつもしているくせに愛人の前ではいつも固くなりすぎて機会があったのにプラトニックに終始、そのためかえって別れてしまうようなこととなったくらいだから、この時も彼女のお母さんと三人連れで、じつはあまり大したことで
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