記事を取り、間もなくそれは写真入り三段抜きで仰々しく社会面へ報道された。この記事を取りにきたたいそう愛想のいい記者が、のちの小野金次郎君だった。
 翌十五年一月号の「苦楽」へは、生まれてはじめて自作自演落語と題して「法界坊と俄雨《にわかあめ》」を発表した。折柄の俄雨に傘を借りにきた男が、破れ傘に因《ちな》みある法界坊の話をいろいろと聞かされているうち、とうとうお天気になってしまったという埒口《らちくち》もない一席。亡友吉岡島平君が私の高座姿だけは漫画でなく大真面目に描いてくれ、当時はこの作も本人いっぱしの気でおさまっていたのであるが、近年に至って鶯亭金升《おうていきんしょう》翁の落語集「福」(なんと明治三十三年発行!)にこれにほとんど同様の落ちの新作あることを発見して、もうその頃はあの落語をなんか巧いとも何とも思っていなくなっていた時だったのにやはり一瞬少なからず落胆したのだからおかしい。
 大阪放送局から毎月鳴り物入りの自作や西洋種の噺を放送しだしたのがその翌年あたりから。松竹座の花形説明者で私の美文たくさんで書いていた幻想小説が大好きで多少私張りの美文で情熱的な「椿姫」の説明などに
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