とんと沙汰するにはおはぐろ溝の棧橋(刎橋)は、持つて来いの廓への近道だつた。
 吉原の一廓は溝でぐるりと、囲まれてゐたので、廓内から廓外へ出る便宜の棧橋に渡されたものが家々の溝に面する裏口から架けた刎橋で、これにはつくり附けの、つまり架けつぱなしの「橋」といふ構造は一つも無い。皆刎ね上る刎橋、いひ代へれば「板」で出来たもので、必要に応じてその板を紐の操作に依つてこつちから向うへと渡す。(時間決めで暫くは橋は架かつたまゝにしてあつたものも中には在つたといふ。)そして刎橋の特徴は、それを廓内から廓外へすとんと架け渡すことは出来ても、外から内へと渡す仕組には造れなかつたことである。これは昔の城廓の刎橋と同じことで、刎橋の一番の意味と面白さがこれであらう。廓の外寄りのおはぐろ溝の岸には、一つ一つ、廓の内から架かつて来る橋板を受け留める台があつた。この台の設備なり仕組みが疑問だつたのである。
 ――然し、いくら古老の口で聞いてもよくわからず、考へて見ても無論一向わかる筈のなかつたものも、それを写された「絵」で見れば、一目瞭然とするのはありがたいことだつた。実は昔のその実地の写生画が見付かつたので
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