で、気込んで、多少は見ても書いても知つてゐたこの材料についてのチシキを、もつとしつかりしたものにしようと、前に記したやうに、あの土地へ出かけて、古老に聞きなどしたものだつた。ハネバシ考の「考」の字は飛んだひようたんから駒のいきさつを自ら喋したつもりだつた。――しかし受け台のことばかりは、その時分らず仕舞ひだつた。土地の古老の話もそこははつきりしなかつた。
いふ迄もなく「現地調査」にわざわざ千束町から龍泉寺町、地方今戸界隈迄、出かけたとは云つても、それは丁度、旅順へ観光に出かけて在りし日の激戦の様を偲ばうとするやうなもので、地形だけはざつと似てゐようとも、そこには溝も無ければ「橋」など痕跡さへその後は止どめない。やつと最後の状態の溝の川幅がコンクリートで舗装された道に、この辺かと、推定が付く位ゐのことである。
刎橋と云ひ、また一葉の文章には棧橋とあつても、それは一つのものである。「廻り遠やこゝから……」とあるのが大門口から廻つて茶屋の正面へ行くのは廻り遠や、この裏通りの橋から水口へあげまするといふ意味だ、などと、穿鑿するまでも無い。舞踊に見得の切れさうな橋は無いと思ふが、仕事やさんの
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