ろで生れたのだが――現にあの辺へ行つて見ても、ほとんど見当が付かない。実はアハレないことにはそれでも多少は見当が付かうかと、性懲りもなく、今までに二三遍、浅草橋界隈を歩いて見たことがある。そのたんびに益々分らないのである。――近ごろでは東京の「両国」といふところは少々ぼくにとつて不愉快な存在の、どうでもいゝところになつて来た。
 ――それがやはり性根は故郷忘じ難しといふわけなんだらう。偶々筆を執つて「両国」を念頭にする、材料にするのは、私にとつてうれしいのだ。
 この心持は果して何だらう? たゞのセンチではないやうであるが、ひつきやう、自分の生活には過去も、現在も、未来も恐らく浸み透してゐる、生れた土地の記憶や実感。少くもぼくといふ人間はその実感を以て初めてジンセイといふ奴を呼吸した。その匂ひであらう――これがぼくをハウントするらしい。
 この頃のやうな寒風のつのる日は、ぼくは昔から目の性がわるいのでボロボロ頬に涙を流しながら、しかし正月は凧といふ手があるので、朝起きて風さへ吹いてゐれば、決然としたものである。といつても、往来や広つぱで揚げる凧はぼく達には無く、足袋はだしで吹きつさらし
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