を写してゐた。そしてこの絵から推して考へもし、目をつむつて少時の実感を回想するのは、佐太郎の大の字にねたのは、橋詰にある石の手すりの部分だつたかもしれないといふことである。欄干は川中へかゝつてからは木になつてゐるが、この木の手すりの上へ大の字にねたのではなかつたやうに思はれる。佐太郎はいつも非常に楽々とねてゐた。……しかし遂にこれは、佐太郎に今再びあつてよく聞き正さないことには、もうわからぬことになつてしまひさうだ。
[#「両国橋の景(第三図)」のキャプション付きの図(fig47737_04.png)入る]
 否わからなくなるのはそればかりではない。両国橋の欄干そのものさへも――あれほど昔日夜親しかつたものが――危ふくわからなくなりかけてゐた。
 欄干は川面から何間位の高さだつたものだらう。ある両国大花火の錦絵などで見ると恐しくそれをアーチ形に高く描いたものがあるが、あれは間違ひである。別の永代橋または新大橋の写真などから見ても、第三図の人と欄干の大きさの割合は当を得てゐる。(第三図の署名には応需春孝印、とある。右上は吾妻橋。)
 ぼくの兄貴(木村荘太)などは、夏の水練場通ひに、こゝか
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