頃妙に柳の木が多いやうだつたが、その辺によくほえる大きな犬がゐたのと、日が暮れると柳の木の下に天狗が出るといふので、ぼくは長年の間、空が暗くなると矢の倉の方角が怖かつた。
「東京案内、一名遊歩の友」と題する明治二十七年版の絵本に、わかりよくとぼけた鳥瞰図の地図が出てゐるから、これを一部分だけこゝに示さう。
[#「両国界隈図」のキャプション付きの図(fig47736_02.png)入る]
 ぼくはこのわく[#「わく」に傍点]の中で育つて、完全に少年期をすごしたので――ぼくは十七歳までこの両国界隈を天地としてゐた――少年期の終り時分にはいふまでもなく足もこの圏外へ延ばしたけれども、親しみは依然圏内狭小のところにあり、記憶は殊にその猫額世界に限られる。山に例へていへば記憶はほとんどこの圏内の一草一木一石の細緻に浸透して余さないものがあるやうである。――これを故郷(ふるさと)といふのであらう。
 ひと頃、ぼくは誤解?して、都会生れの人間には故郷は「無い」といつた方が当るやうだ、と考へたことがあつた。しかしこれは間違ひであらう。たゞ地方の人の故郷観に比べて「羨望」の情ともいへるものゝあることは、
前へ 次へ
全28ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木村 荘八 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング