室仕事のわけで「習作は悪ければ見せず、制作にて日本全国人に見すべし」、云わばこの柏筵の信条とも見まがう言葉は、フランスのドラクロアの日記などに同じ意味を再三散見します。習作は決して手離してはいけない、手離すには、制作に代えてからでなければいけない、と云うなど。
更にこれも絵の方で云いなぞらえると、明治・大正からかけてこっちは、展覧会などに、習作つまり仕事の「地顔」をそのまま出陳する風が不思議でなくなって、「制作」の方は、特別のよそ行き[#「よそ行き」に傍点]のような感じになった傾向が、少なくないかもしれません。
絵の方は、それでも立ったかも知れませんが、俳優の地顔・舞台顔の混合にいたって、これには、どこ迄も確然と区別ありたきものです。地顔の、高がいわゆる「イイオトコ」位のことで、そのまま舞台に立たれた日には、劇は持ちません。映画の人がこれでよく「実演」というものを見せますが、実演という言葉からしていけない。劇は実は「実演」であってはいけないでしょう。ウソを演じて実以上に美化するものでなければ「芸」でないことは、申すまでもない。
「羽左衛門」を転機としてそれ以後の俳優の顔は、菊五郎・吉右衛門と雖も、その地顔と舞台顔とのひらき[#「ひらき」に傍点]を短縮したものになって来ている。それが「近代」というものだと思います。――殊に現在のカブキ復興に際会してたてもの[#「たてもの」に傍点]となっている若い俳優達の「顔」に至っては、例えば松緑の顔は、いわゆるメーキアップが何か不足?とも見えて、その地顔の佗びしい顴骨がいつも舞台で「美化」されていずに、狐忠信も、安宅関の富樫も、同じようなサラリーマン式の風貌に見えるし、梅幸の累は、与右衛門が塔婆を折ってから異相に変っても、その眼の上のあざ[#「あざ」に傍点]が、顔に乗って見えません。
あざ[#「あざ」に傍点]にしても、黒子にしても、云うまでもなく顔一杯の隈取りに至るまで、旧劇のメーキアップは、この乗るか外るかが「舞台顔」には、身性のわけで、最近知盛が二つ出ましたが、演ることは大体そつが無いとしても、染五郎の碇知盛は矢張りその「顔」に隈取りがしっくり嵌っていない為に、悲壮なる可き筈の英雄の最後が、疲れ果てた老人の断末魔のように、妙に「実感的」に見えたことを否めません。さすがに菊五郎の知盛の大隈取りは、その顔のわくにぴったりと嵌っ
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