て、白装束や薙刀も生きた、舞台一杯のものでした。
「顔」も無論平素のその人の生活から陶冶されてその骨相の出て来るものと思います。これも柏筵の言葉に「役者は人間の見せものなれば成るたけ身綺麗にするがよし」夏は絽の頭巾を放さないのが良い、と云ったとあります。「絽の頭巾」までのことは当代、無いとしても、一頃それがはやったような、成るたけ役者も平素の起居動作を書生流にするなどということは、どうかと思われます。
 しかも今では、平素の起居動作を書生流にすることが、却って近代俳優の定めになっているものではないでしょうか。――「人」の一般としては役者世界に余り役者が傾くより書生流が当世かもしれないにしても、六代目さえ、その「顔」を五代目のイキから全然変えて「当世紳士」のつまり地顔仕立てに訓練陶冶したものは、鉄砲撃ちをしたり、当時一家の彦三郎は、時計に日常生活を打込んでその向きから表彰されたことなどありました。果してそれが俳優生活としてのどこ迄の得分だったでしょう。
 そういう「近代」が、――生活の生地が――名人六代目菊五郎をさえ齲《むしば》んでいないとは云えないと思います。俳優は「近代」ならざるが良い、当世向きでない方が良いという意味ではないにしても、吉右衛門はその近代的神経性に駆られてあたら「顔」を小ずませたものが無いとは云えない。その前時代の吉右衛門型であった「中車」の顔は、同じくその骨相は気骨稜々としたものだったにしても、地顔の神経っぽさは無く、舞台顔へすっ[#「すっ」に傍点]と抜けていたものです。
 六代目の姉輪平次は、その五彩豊かな隈取りの顔の中で、しかも、一人々々の扇の折子をつかまえて乳房を調べる件り、「ウム、女だ、女だ」のところで、その顔の表情に満々と「助平」を現して見せますが、カブキの顔の隈取りの中でこれだけ表情の表現を企てる行き方は、この辺に菊五郎カブキと云われるものの一端があるのではないかと思いました。
 表情を表現することは或いは地顔並みの俳優にも行くことかもしれませんが、元来隈取りのしっくりとは乗らない未開墾未訓練の「顔」を以ってして、そのカブキ隈の中で、云い代えればカブキ芸の中で、六代目的近代カブキの表現を直ぐ様行おうとすれば、そこに無理を伴うこと、少なくないでしょう。染五郎の知盛の悲痛が理に落ちて末路惨憺となり過ぎたのも、そういう為ではなかったかと思う
前へ 次へ
全6ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木村 荘八 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング