少くも感知[#「感知」に傍点]してゐる年月は、とうに四十年に近づこうとする長きに及んだ。ぼくはものごころがつく抑々初めから、絵好きで、よく人と笑談にいふ「生れてこの方ずつと文弱に流れてゐた」経験の、これに加ふるに家庭の環境関係や上長の影響などもあつたところから、子供の頃から、雑誌、新聞の類、小説本等々と親しかつた。今では見かけないやうだけれども、明治末の年頃はまだ盛んに東京の下町界隈にあつた、「移動図書館」風な貸本屋といふもの、学校でほんの五六冊読む教科書以外は目に触れる本といへば、いつも際限なく後続部隊の用意されてゐるその貸本屋の棚や風呂敷包から提供されるもので、それも始めは呉服のたたう紙で表紙を作つた講談本に始まつたのが、段々と月々の雑誌や新刊本にうつり、中学時分には更にこれが貸本屋から普通の本屋へと手が延びて、本屋から月々の通ひで目ぼしい新刊をとることゝなつた。
 しかもその選取する本といへば、軟文学に限つたから、当時、岡鹿之助のお父上の鬼太郎さんの書きものなどは、殆んど雑誌の毎号を欠かさず通読してゐたものだし、新小説や文芸倶楽部――今でいへば、中央公論・改造――はその編輯振りの
前へ 次へ
全25ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
木村 荘八 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング